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楢葉の風⑤

神保です。福島県・楢葉町にお邪魔した際の旅の記録、5つめです。じつは今年の1月には書ききっていたのですが、公開しないままこんなに時間が経ってしまいました。旅の記録がすごく溜まってしまっているので、ちょっと頑張ってガンガン公開していきます。これまでのバックナンバーはこちらです。

2023年11月19日。旅の2日目、午前。現地の堺さんの案内で、旅するたたき場メンバーの神保治暉・山本史織・山田朋佳の3人は宿泊先である堺さんのお宅のまわりをぐるっと散歩していました。そして、ゆず農園にやってきました。

広行さんのゆず農園。撮影:堺亮裕

ゆず太郎スマイル

まず、みなさんに「ゆず太郎」を紹介したい。ところが、写真を一枚も撮っていなかったので、とりあえずこちらの拾い画を・・・


厚生労働省HPより拝借・・・

山里を散歩していたら、堺さんがすごくお世話になっているという、ゆず農家のところに案内してくれた。その農園の表に、ゆずジュースをつくるための小屋があり、その壁面にゆず太郎が描かれていた。これが僕たちとゆず太郎との出会い。ゆず太郎は、「履き物をそろえようよ!」というせりふで僕たちを出迎えてくれた。それがなんだか面白くて、すごく記憶に残っている。マジで写真撮ればよかった。

堺さんはどんどん農園に入っていき、慣れた様子で広行さんの名前を呼んだ。ゆずがたくさん成っているところを、見上げながら進んでいくと、ハサミでゆずを収穫している人と出会った。広行さんである。

堺さんが僕らを紹介してくれた。

「彼らは東京からやってきて、来年、演劇をするためにリサーチをしているんです。」

「へえ〜、東京から?」

「僕は埼玉で」「神奈川で」「千葉です」

広行さんは、もとはこの土地になかったゆずを、親の代から育てはじめたという話を聞かせてくれた。ゆずを楢葉町の名産品にしようと、ゆずを配ってまわったという話が印象的だった。

「桃栗三年柿八年、ゆずの大馬鹿十八年って言ってね」と、ゆずが実をつけるまでの大変さを語る。つぎ木などで多少早めることはできるようだ。手間がかかるのと同時に、なぜかゆずへの愛情が感じられてしまう絶妙な言い回しだと僕は思った。

「それにしても演劇をしに、わざわざ、なんで楢葉町に?」と聞かれ、不意の直球疑問にたじろいだ。堺さんは、「それを探すためにも、何度かこっちに来てリサーチするんですよ。」と答えてくれた。

この、なんでもない一瞬の会話が、のちのち、僕の中でぐるぐると蘇ることになる。

ゆず農園は、小さな太陽がいっぱい光っているようだった。ほんのり爽やかなかおりが、ふとした時にあたりを染めた。とても穏やかで、綺麗だった。

僕はこのチームを思いついたとき、「旅」を活動の主軸に置くことで、演劇をつくって上演するうえで生まれてしまう構造的な力を崩せるんじゃないかと思った。これは希望だった。雑談が食事と並走することでその「無目的さ」を保っているのと同じように、演劇づくりを旅と並走させることで「無目的さ」を獲得できると思っていた。それは、「なぜやるのか」「何をやるのか」をあらかじめ設定せず演劇づくりをすることに、何か希望があるのではないかと感じていたからだ。また一方で、リサーチに目的を設定しすぎると「関心のないテーマ」をあらかじめ排除してしまうことにもつながるため、なるべくそれをしないためでもあった。

でも僕は、「どうして楢葉町で?」というシンプルな問いに、シンプルな答えを持っていなかった。特別な理由がなくとも旅することの意義と実感が僕の中にはあっても、向こうからしたら謎すぎる。僕が住む町に、どこからか知らないアーティストがやってきて、理由もなくその町を選んだと言われても、そんなの僕なら信用できない。

すごくもどかしいと感じだ。なにかの因果でその土地を知り、旅をして、そこで作品をつくって発表する、それだけのことだったはずなのに、いざはじめてみると、自分がここに来た理由のなさ、説明のできなさ、自分の足元の不安定さに驚愕した。しかしながら、足元を固めすぎないことは一つの希望であったはずだ。うーん、これでは堂々巡りである。

一体このショックをどうしたらいいのか、全くわからないまま、僕はこの日を過ごした。その後、町で何度かゆず太郎と再会した。ゆず太郎はいつ見ても満面のスマイルをこちらに向けていた。

ここは!観光客の来るところじゃないぞ!

家の裏側の山の神社へ。撮影:堺亮裕

確か「秋葉神社」だったと思う。すごく新しく、どうやら最近建て直されたもののようで、堺さんいわく、もとは茂みの奥にあったのを、参拝しやすいように手前へ移したんじゃないか、とのことだった。

堺さんは目を細めて、入っていけそうな獣道を見つけると、ずいずい草をかき分けて進んでいった。僕らは、メイとさつきのお父さんみたいにそのあとをついていった。

明らかにもう人の手が届いてない道を、
倒木などを乗り越えて、
見上げると、先に行って待っている堺さん。

ヒヤヒヤしながら登りきると、開けた空間に出た。そこはやはり、元々は神社が建っていたであろう場所だった。

奥で積まれている、もとは御堂だったらしきもの。撮影:堺亮裕

写真手前に、石でできた土台が残っていることから、おそらく御堂が解体されて奥に置かれたんだろう。

ここでもまた、場の力をすごく感じた。撮影:堺亮裕
瓦。叩くとさまざまな響きがした。撮影:山本史織

木があっちこっちへ折れたり伸びたりして、帰り道もたくさんの障害物を避けながら降りていった。枝をおさえて先に通してくれたり、気をつけてねと声をかけあったりしたのが、共同作業みたいで嬉しかった。小さな冒険だった。でもクリスタル・スカルは見つからなかった。

堺さん宅に戻り、車で昼食に向かった。

堺さん宅の裏にも素敵な風景。撮影:山本史織

ひっつき虫とひっつかれ人

昼食は「やぶそば」さんにて。巨大な天ぷらがモリモリ乗った美味しいせいろをいただいた。そばの流派について解説する紙があり、4人で興味深く読んだ。

食後に、堺さんは僕たちを海の方へ連れていってくれた。こちらの写真は
「波倉海岸」の眺め。奥に写っているのは、福島第二原子力発電所。原子力災害があったのは第一原発。そこからはかなり離れた場所だ。

波がすごかった。撮影:堺亮裕

ここから海沿いを南下して、今度は「楢葉町海岸」へ。そこで僕は、「やつら」に
遭遇した。

高く高く切り立った崖。撮影:堺亮裕
草むらで僕を待っていたのは・・・。撮影:堺亮裕
ひっつき虫の大群だった。撮影:堺亮裕

もちろん虫ではなく、おそらく「アメリカセンダングサ」というキク科の植物だ。二人にも取るのを手伝ってもらった。靴の中まで入っていて、めっちゃチクチクした。

崖近くで音の反響をしらべていたら足元に群生していた。撮影:堺亮裕

「井戸浜海岸」と名があるようだ。あまりの景観と場の力に、僕たちはほとんど吸い寄せられるようにして歩いていった。

この高さの崖がずっと続いている。撮影:堺亮裕

すごくいい場所だった。時間が許せばここにもっともっと居てみたかった。後ろ髪引かれつつ、このあと天神岬まで行ったのだが、僕はそこでもひっつかれたままだった。

次回!絶叫!!!天神岬の試練!!!!

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