メイシャンダオな台湾生活。-写真と台湾華語-
台湾生活を始めて一年過ぎた今も毎日がメイシャンダオで溢れている。
台湾でこんなにも多くの出会いに恵まれるなんて思ってもいなかったし、写真を通して誰かの力になれるなんて思っていなかった。
__ん、台湾に来てから?
いや、随分前からそうである。
人生はメイシャンダオだらけ。
メイシャンダオだらけな過去
高校3年生、進路に悩みつつ夏まで部活に熱中。ソフトボールの試合中にスライディング失敗して膝が逆に曲がった、メイシャンダオの始まりだ。
大学4年の病院実習、盲腸になって実習先に緊急入院。そして緊急手術、とんでもないメイシャンダオである。一週間後の退院日にかかってきた大学からの電話で告げられたのは留年確定、メイシャンダオ以外の何者でもない。
留年して暇だからバイト代を貯めて短期留学した。留学先でボーリングしてたらiPhoneを盗まれた、病気に比べりゃなんてことないメイシャンダオ。電子辞書を抱えて牢屋併設の警察署でレポートを発行してもらった。
大学最後の春休みに東南アジア横断してみた。常夏だと思ってた香港が真冬でメイシャンダオ、帰国直後の卒業式で発熱のため救護室行き。
__数年後、世界の沒想到、Covid-19。
様々な意見はあるだろうけど、勤務先の病院で感じたあの迫り来る不気味さは独特だった。肺のXp、CTをみて幾度となくゾワっとした。自分の不甲斐なさや無力感で押しつぶされそうになった時期でもあった。今でも、もう会えない人がいることを思い出して辛くなったりもする。
何気ない日々、誰かと過ごす時間を残したくて、そして旅先の景色を忘れたくなくてカメラを買った。まさかフォトグラファーになるなんてメイシャンダオである。
海外旅行が解禁されたタイミングで、相棒を斜めがけにして、3度目となる台湾旅行に来た。
こんな風景に何故か「台湾に住みたい」と感じさせられてしまい、帰りの飛行機で台湾に住むことを決めた。次の出勤日に退職希望を伝えた。自分もメイシャンダオ、家族も同僚もみんなメイシャンダオだっただろう。
メイシャンダオな今の台湾生活
台湾に来た当初は、中国語学習をする予定はほとんどなかったのに、今や台湾人や各国からの留学生達と過ごす時間がほとんどで、一日の中で中国語で話す割合の方が圧倒的に多くなった。
「你好」と「謝謝」しか知らなかったやつが今やメイシャンダオの使い方もバッチリである。まさにメイシャンダオである。
共通の言語があるだけで、
人生の可能性は広がっていく。
言葉が通じるようになってきたおかげで、台湾の魅力をさらに深く感じれるようになってきた。台湾にいると、何故か日常をより愛おしく感じる。そういうシーンを忘れたくなくて大切にシャッターをきる。そしてその写真達が届くべき人に届けばそれでいいなと思っている。
最近、依頼をいただいて撮影していた最中、「台湾のことが本当に好きなんだろうな、と撮られていてすごく伝わってきます。」という言葉を頂いた。すごく嬉しかった、他の誰でもなく今の自分が台湾にいる意味に改めて気づいてハッとした。
盲腸にならなかったら人生の選択肢が自由なことも知らなかったかもしれない。病院で働いていなかったら、今ある幸せを十分に理解しないまま生きているかもしれなかったし、カメラを始めていなかったら、その幸せを記録できていなかったと思う。
台湾に来ていなかったら、
それは冒頭ですでに記載した。
メイシャンダオな未来へ。
一年と思っていた台湾生活は
何故かアディショナルタイム。
過去のメイシャンダオ全て今に繋がっている。
これからも悲喜交々のメイシャンダオを拾い集めながら、メイシャンダオな未来に歩いていくんだろう。
そして
きっとメイシャンダオ以外の
新しいフレーズも使えるようになる。