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セロ弾きのゴーシュ

宮沢賢治の『セロ弾きのゴーシュ』を読みました。
図書館で偶然、中村哲氏の『わたしは「セロ弾きのゴーシュ」』を見つけて、中村哲氏がなぜそう感じたかが興味深かったからです。

オーケストラで上手く引けていなかったセロ弾きのゴーシュ。家で練習するたび、毎晩、それぞれの期待を持った訪問者があり、頼まれた曲を弾くためオーケストラの曲は練習できていない。そんな1週間か十日を過ごした後、本番を迎えたゴーシュの演奏は格段に変わっていて、アンコールソロまで任されお客様や団員を感動させた、という童話。

宮沢賢治の童話には人知を超えた自然の力が根底に流れています。
その中で精一杯できる事をするのが生きるということなのだと感じます。

意図したものではなく、いいことも悪いことも起こるのですが、そこに慢心して謙虚さや丁寧な日々の営みを怠る時に何かしらの事件が起きて、そこからまた学ぶのも学ばないのも自分次第。
失敗を繰り返しながらも精一杯生きていて、その結果得られるものは人間力、生命力のようなもの。

中村哲氏がご自身の活動の中で見出した真理と通じるものが有ったのだと思います。

地球は奥深いと思いました。

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