揺らぎからの展開
大きく気付く事があったのでここに記しておく。
事の始めは6/26のときわ台稽古会。
なんとなく「揺らぎ」をテーマに稽古してみようと思って始めてみる。
揺らぎを作ると身体の居着きがなくなり、柔軟な対応ができるような事から稽古が進んでいったと思う。ある瞬間の時に、これは持たれている手は一切動かさないようにして揺らぎを伝えたら結構いけるんじゃないかと思い試してみると、想像以上に相手が振り回されてこちらが驚いた。
いつものように良い動きが生まれるとやっている実感がない。
色々と試した結果、この時は腕と体感部がうまく分離しているおかげで繋がりが生まれた事がよく分かった。普通は繋がりだと思っていても、いざ動いてみるとお互いの足を引っ張り合うただの癒着だったりする。
何年か前にこの事に気付き、「自立」の稽古をよくしていた。「自立」の稽古とは関節ごとを一つのパーツとし、そのパーツを独立させて動かすというものだ。手首なら手首、前腕なら前腕、上腕なら上腕といった具合にそれぞれを動かす。この自立があるから始めて繋がりが生まれるのだと、何年か前の記事にも書いたと思う。
話が逸れてしまったが、揺らぎの余韻を感じながら過ごし、今日は海老名での研究稽古会。
こちらでは、私の稽古会に3回以上参加された方のみを対象としていて、伝えるというよりも共に研究稽古するといったスタンスの場所である。
参加される方も常連で体が練られている方なので、存分に稽古しやすい。
早速いつものメンバーに最新の気付きを体験してもらうと「今までと全然違いますね!」と驚いてもらえた。そして、いきなりやられると怪我します笑、と全く力の出どころが違うようでこちらもビックリしていた。
今回の研究稽古で分かったのは、接触面は先(せん)の動きで入り、後は肚の揺らぎを使う(左右の上前腸骨棘を分けて使うほうが読めないらしい)という至ってシンプルなもの。
もっと簡単に言ってしまえば、肚から動く。
よく巷でも言われている事だが、実感するまでに実に多くの紆余曲折があった。それはそれで面白いのだが、今回の気付きは更に面白く、今までとハッキリと違う質のものだった。
言葉は限られているので、同じ言葉を使うか違う言葉を組み合わせて伝えて行くしかない。言葉一つの中にどれだけの実感と経験が入っているのか、それを想うとやはり古の人の体の豊かさを考えさせられる。
兎にも角にも身体というものはまだまだ知らない事だらけだ。