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【旅の所感】ネパールで感じた死生観
ネパールでの10日間の旅を終え、昨日帰国しました。旅中は胃の調子が思わしくなく、不安な気持ちも抱えながらも、何とか無事に過ごすことができました。
昨日の最終日は、2000mに位置するナガルコットでの素晴らしい日の出を堪能した後、かねてより訪れたかったネパール最大のヒンドゥー教寺院、パシュパティナート寺院と、チベット仏教の聖地であるボダナート寺院を訪れました。
特に感銘を受けたのは、パシュパティナート寺院で、ここはネパールで唯一、火葬場で死者が焼かれる様子を対岸から見ることができる場所。約1時間ほどの滞在中、どこからともなく死者が次々に寺院に運ばれ、儀式の後、燃やされます。火葬場はものすごい勢いで炎と煙がモクモクと立ち昇っていました。
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当然ながら、人は誰もが死に直面し、あの世には何も持って行けないわけで、残りの人生でどれだけ徳を積み、家族や友人、周りとの深い信頼関係を築き、少しでも記憶に残る人になれるかを意識してこうと決めました。
こんな風に感じたのは、この時ばかりか、10日間のネパール滞在でも節々に感じました。それは至極自然に家族や友人同士が互いを補い合って生きている姿を肌で感じ、目で見てきたからです。
とはいえ、彼らは自分を犠牲にしてまで相手に与えているふうでもない。たとえ大人の男性でいま働いておらず、家族や親戚からの資金援助をもらっている立場だとしても、決して罪悪感を感じることなく、ましてや無理することもなく、ただ自分ができることで相手のお役に立っている。みんな素直で、我慢することなく、困っているのであれば、「いま困っているから助けて欲しい」と言える人たちなのです。
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一方、僕自身はどうかと自問してみました。
信仰心は薄く、周りより自分中心でいたい気持ちが強い。今回の旅を楽しむ一方で、家族への罪悪感を感じたりする。他人と比較しては落ち込むし、無能さを感じる時もある。
ただこれ、決して悲観したいわけではなく、同情を求めているわけでもなく、最近特に感じているのは、そんな自分をも認め、許し、好きになりつつあるというのを感じているのです。ネパールの人たちもきっと同じなのかもしれない。
もちろん、相手と意見が食い違って落ち込んだり、感傷的になったりすることもあるけど、それでも僕は人が好きで、自分も好き。そしてこれはずっと言っていることだけど、信頼し合える仲間を生涯かけて増やしていく。そのことが、僕自身の成長と幸福に繋がり、世界が繋がる草の根活動だと信じているから。
今回、ひとり旅をしたことで、人の温かさに触れ、その想いが一層強くなりました。ネパールの人たちと触れ合ってきて、今まで以上にもっと自分に正直に、そして素直に自分を表現していこうと決めました。
より軽やかに!
そして
しなやかに!
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