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「車でお遍路(キーワード)」 お遍路の元祖 衛門三郎の伝説とは

こんにちは、旅いこかです。

四国八十八箇所巡りをしていると、第12番札所焼山寺第47番札所八坂寺、そして第51番札所石手寺で、衛門三郎の名前を耳にします。

そこで、お遍路の元祖という衛門三郎の伝説について記したいと思います。


衛門 三郎えもん さぶろう

衛門三郎は、平安時代初期の天長年間(824-834年)の頃
旧地名の伊予国浮穴郡うけなぐん、現在の第47番札所八坂寺の近く番外四国別格二十霊場第9番札所の文珠院徳盛寺もんじゅいんとくじょうじの地で伊予の国を治めていた富豪河野一族の農家に生まれた

人物像としては、お金と強い権力を持ち強欲で人望も薄かったといいます。


衛門三郎の伝説とは

ある日、衛門三郎の屋敷に托鉢の僧侶が訪ねてきたが、三郎はたびたび訪れる僧侶を鬱陶しく思い腹を立て馬の鞭で追い払おうとしたところ、僧侶は手に持っていた鉄鉢てっぱち(托鉢の際に用いる鉄製の黒い鉢)を滑り落とし8つに割れてしまった

その直後から、

衛門三郎は自身の8人の子供が次々と急死するという最大の不幸に見舞われたのです。そしてその8人の子供を文珠院徳盛寺もんじゅいんとくじょうじの八ツ塚に葬り悲しみに打ちひしがれました。

そうしたある日の夜、

三郎は、枕元に弘法大師の像が現れ、あの時の托鉢の僧侶が弘法大師だったことに気づきます。

そして、自身の過去の行いに悔やみ反省して懺悔すべく大師を追って四国巡礼の旅に出ることにしたのです

しかし、衛門三郎は四国霊場を20回巡礼しても大師に会うことは出来ず、最後の力を振り絞り21回目に逆打ちをした際に第12番札所焼山寺の麓にある杖杉庵で力尽き病に倒れた

その時、不思議なことに三郎の前に突然弘法大師が現れたのです。
そこで、三郎は過去の過ちを詫びたところ、大師は三郎を許し「何か望むことはあるか?」と訊いた。

三郎は、ただ一つの願い事は「来世も河野一族に生まれたい」と言いながら息を引き取りました。

大師は、その場でその望みに応えるべく「衛門三郎再来」と小石に記してそっと三郎の手に握らせました

そして幾日が経ち、

間もなく河野息利やすとしに男の子息方やすかたが生まれたが、左手の掌を固く握りしめて開かなかった。

父である息利は心配して第51番札所安養寺の住職に祈祷をしてもらうと、息方の指がゆっくりと開き、なんと「衛門三郎再来」の小石がでてきたのです。

大師は、衛門三郎の願いを叶えたのです。

そして、その際に安養寺は、寺号を石手寺に改名、今も石手寺の宝物館にはこの小石を寺宝として展示しているのです。


こうして四国お遍路は、


衛門三郎が弘法大師の後を追って四国を巡った旅が四国八十八箇所巡礼(お遍路)として広まり、

逆打ちにご利益があるというのも、この伝説に由来しているのです。

合掌

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