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「車でお遍路」第63番札所 吉祥寺(御本尊は四国唯一の毘沙聞天、寺号は妻の吉祥天から)
こんにちは、旅いこかです。
四国八十八箇所巡礼、弘法大師との「同行二人」の旅、63番目のお寺は、
密教山 胎蔵院 吉祥寺
62番札所の宝寿寺から約1.6㎞、車で約5分の場所、
吉祥寺への道は、至極簡単、宝寿寺から国道11号線をまっすぐ走るだけ。駐車場に入る看板だけ見落とさなければ大丈夫。
この吉祥寺、山門に「本尊四国唯一体毘沙聞天王」と記されている。確かに毘沙門天を御本尊としている札所は吉祥寺だけで、しかも「毘沙門天」では無く「毘沙聞天王」。
この御本尊の毘沙聞天は、「米持ち大権現」ともよばれ農家の信仰が厚いという。
そして、「吉祥寺」という寺号。
同じ名前で東京都武蔵野市の吉祥寺、この吉祥寺という地域は住みやすい街ランキングでは度々1位になるほどの上位の常連の街。
東京の吉祥寺は、もとは江戸時代に文京区の諏訪山吉祥寺の門前町が焼失した際、江戸幕府が都市計画に基づき吉祥寺地区を大名屋敷として再建したことに始まったという。
「吉祥寺」の名の由来は、御本尊に毘沙門天、脇侍に吉祥天(毘沙門天の妻)と善賦師童子(毘沙門天と吉祥天の子)の吉祥から名付けられたよう。
では、四国唯一体毘沙聞天を御本尊とする「吉祥寺」へ参りましょう。
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ご詠歌
身の中の 悪しき悲報を うちすてて みな吉祥を のぞみいのれよ
お参りする前に知っておいた方が良い知識
歴史
年号は不明であるが、もともとは現在地より南東へ約2㎞登った坂元山に堂塔21坊を有する大寺院であった
弘仁年間(810-824年)、この地を巡錫中の弘法大師は、坂元山の中腹に光り輝く檜を発見して霊木と感得、貧苦からの救済を祈願してこの檜に一刀三礼して御本尊の毘沙門天と脇侍の吉祥天と善賦師童子の3像を彫り堂宇を建立、安置して開基
天正13年(1585年)、天正の兵火で全国統一を目指す羽柴秀吉(豊臣秀吉)による四国攻め(天正の陣:金子城の戦い、高尾城の戦い)により焼失、以降も荒廃
万治2年(1659年)、末寺の檜木寺と合併して現在の地に移転して再興
昭和51年(1976年)、当時の住職が周辺の札所とともに「四国東予七福神霊場」を開創
大師伝説
現在地より南へ200mほどの場所に、大師が持つ杖で加持すると清水が湧き出たという「芝之井のお加持水」と呼ばれる泉がある(今でも湧き出ている)。
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寺号について
寺号について
・・・四国で唯一毘沙聞天を御本尊とするが、脇侍には毘沙門天の妻である吉祥天女を祀っている。この吉祥天女から「吉祥寺」と名付けたという。
ご利益
御本尊の毘沙門天
・・・金運・開運・五穀豊穣・商売繁盛・合格祈願・長命長寿、立身出世、家内安全、など現世利益吉祥天
・・・吉祥とは繁栄・幸運を意味し、幸福、美、富をあらわす神
御本尊・ご真言
本尊:毘沙聞天
真言:おん べいしらまんだや そわか
見どころ
本堂
・・・御本尊に毘沙門天坐像(60年に一度開帳の厳格な秘仏。次回は西暦2038年。)を祀る。
※毘沙門天は、仏法や仏教徒を守る12人の神さま十二天の1人であり、8方角・天地・日月を守護する神さまのうち「北方の守護神」。
また、「七福神」の1人でもあり、武将の姿をしている別名「多聞天」。七つの福のうち、福徳を授ける神さま。くぐり吉祥天女
・・・くぐり吉祥天女の下をくぐると貧苦を取り除き富貴財宝を授かるという成就石
・・・本堂前の穴の空いた石で、この穴に金剛杖を通せば願いが叶うという芝之井のお加持水
・・・大師が持つ杖で加持すると清水が湧き出たという泉
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写真
次は、第64番札所前神寺へ参ります。
2022年7月10日投稿
2022年10月10日改訂
合掌