「車でお遍路」第71番札所 弥谷寺(幼少期の大師が学問に励んだ山岳霊場)
こんにちは、旅いこかです。
四国八十八箇所巡礼、弘法大師との「同行二人」の旅、71番目のお寺は、
剣五山 千手院 弥谷寺
70番札所の本山寺から約13.5㎞、車で約30分の場所、
弥谷寺は、本山寺から国道11号線を概ねまっすぐ東へ進み地図で見ると海から約1㎞とのどかな平野にあると思いきや、標高382mの弥谷山の中腹にあるまさかの山岳霊場。
駐車場からは、森と岩の参道を歩き石段をかなり登る(530段あまり?)こととなるので車遍路でも覚悟が必要。
この場所は晴れていても霊気漂うと感じる札所、それもそのはず、調べてみると、昔から死霊の行く山と信じられていて、青森県の恐山や大分県の臼杵磨崖仏と日本3大霊場の一つに数えられたというほど。
では、山岳霊場で岩壁に彫られた無数の仏さまの神秘的な札所「弥谷寺」へ参りましょう。
ご詠歌
お参りする前に知っておいた方が良い知識
歴史
天平年間(729-749年)、聖武天皇の勅願により、妻である光明皇后の菩提を弔うため行基菩薩が開基
当時は、四国・中国地区などの八国が眺望できることに因み「蓮華山八国寺」と称した延暦2年(783年)頃、この地では、弘法大師が幼少の9歳から4年間の頃(当時は、佐伯真魚)に岩屋の中で学問に励んだという
大同2年(807年)、唐から帰国した弘法大師は、この地に再度入山して求聞持法の秘法を修する
その際に、金剛蔵王権現のお告げにより諸堂を再興、千手観世音菩薩を彫り安置、「弥谷寺」と改称して札所に定める室町時代(1336-1573年)、天霧城主香川氏の庇護を受け大寺院となり隆盛を極める
天正年間(1573-1592年)、天正の兵火により焼失、荒廃
慶長5年(1600年)、丸亀藩主京極氏の帰依により復興
大師伝説
寺号について
山号について
・・・大同2年(807年)、唐から帰国した弘法大師は、求聞持法の秘法を修していると、五本の剣が降ってきて金剛蔵王権現のお告げを聞いたという逸話から「剣五山」となった寺号について
・・・弘法大師は、谷の多いこの地が、仏の住む山である弥山から仏の谷という意味で「弥谷寺」と改称
ご利益
御本尊の千手観世音菩薩
・・・災難除け、病気平癒、長寿、夫婦円満、恋愛成就などの現世利益と後世利益金剛拳菩薩
・・・成就を司る仏さま洞地蔵尊
・・・首から上の病にご利益
御本尊・ご真言
見どころ
本堂
・・・御本尊に千手観世音菩薩を祀る 本堂へは境内から570段の石段を上る金剛拳菩薩
・・・元禄時代に覚林により造立(約6mの立像) 十六大菩薩の最後に位置し、成就を司るといわれている如来になる直前の姿をしている全国でも珍しい仏さま百八階段
・・・百八階段を登る3つの意味108の煩悩を落とす、
四苦八苦(4×9+8×9)を落とす、
1年を無事過ごす(月の数12、二十四節気24、古代中国の季節方式七十二候72、12+24+72)
弥陀三尊磨崖仏
・・・大師が彫ったともいわれ、真言を唱えると極楽往生ができるという水場
・・・日照りがいくら続いても湧水が枯れることは無いという奥之院「獅子之岩屋」
・・・弘法大師の御学問所 大師像、母君(玉依御前)、父君(佐伯善通卿)、が祀られている洞地蔵尊
・・・大師堂内より参拝できる首から上の病にご利益があるお地蔵さま
その他
弥谷寺は、「死霊の寺」としても知られ、今でも死者を供養する「弥谷参り」という風習が残されている山岳霊場。
写真
次は、第72番札所曼荼羅寺へ参ります。
2022年7月27日投稿
2022年10月11日改訂
合掌
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