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「車でお遍路」第59番札所 国分寺(真言宗を守り通した伊予の古刹)

こんにちは、旅いこかです。

四国八十八箇所巡礼、弘法大師との「同行二人」の旅、59番目のお寺は、

金光山こんこうざん 最勝院さいしょういん 国分寺こくぶんじ


58番札所の仙遊寺から約8.8㎞、車で約20分の場所、

これまで比較的札所間の距離が近かった今治市6ヶ寺のなかで最も長い距離を走り、今治市内最後の札所国分寺に向かう。

聖武天皇の勅願で全国各地に建立された国分寺は、阿波徳島県の第15番札所、土佐高知県の第29番札所に続く。

伊予の国府があった国分寺は、かつては約60mの七重の塔の遺構も残る七堂伽藍の大きな堂塔を備えた豪壮な巨刹だった。

しかし、悲運にも4度の戦禍により焼失し衰退していく歴史があるが、多くの国分寺が時の政治権力等で宗派を変えて存続しているのに対して、伊予の国分寺は真言宗(真言律宗)を守り続けている
(阿波国分寺は、法相宗⇒真言宗⇒曹洞宗)

では、伊予で隆盛を極めた札所「国分寺」へ参りましょう。

階段の中腹にある石柱門は初めて、右手には「本尊瑠璃光如来」と彫ってある


ご詠歌

守護のため たててあがむる 国分寺 いよいよめぐむ 薬師なりけり


お参りする前に知っておいた方が良い知識

歴史

  • 天平13年(741年)行基菩薩は、聖武天皇の勅願で天下泰平と五穀豊穣と万民豊楽を願う祈願所として薬師如来を彫り本尊として開基

  • 平安時代(794-1185年)初期、巡錫中の弘法大師はしばらく滞在して「五大尊明王」の絵画一幅を奉納

  • 天慶2年(939年)、藤原純友の乱で焼失、後に国主の援助で復興

  • 元暦元年(1184年)、源平合戦で焼失、再度復興

  • 貞治3年(1364年)、讃岐の細川頼之の兵火で焼失、再々度復興

  • 天正12年(1584年)天正の兵火4度目の焼失

  • 寛政元年(1789年)、43代目の住職恵光上人が金堂を建立、以降江戸時代(1603-1869年)後期に本格的に復興が進み、現在に至る


大師伝説


寺号について

  • 寺号について
    ・・・国分寺は、天平13年(741年)聖武天皇が仏教による国家鎮護のために全国に国分寺を建立する「国分寺建立のみことのりが発せられ全国各地に国分寺を建立
    なお、国分寺建立地の選定については、地理的条件都市計画的条件政治的条件、を兼ね備えなければならないと厳しい条件がある


ご利益

  • 御本尊の薬師如来
    ・・・
    大医王仏だいいおうぶつ医王如来いおうにょらいとも呼ばれ、十二誓願じゅうにせいがん現世利益げんせいりえきの仏さま(病気平癒、他)

  • 握手修行大師
    ・・・願い事を一つ聞いてくださる

  • 薬師のつぼ
    ・・・つぼに書いてある体の部位を真言を唱えながらさすると病気が快復するご利益


御本尊・ご真言

御本尊:薬師如来
ご真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか


見どころ

  • 本堂
    ・・・御本尊に薬師如来を祀る 寛政元年(1789年)に再建

  • 握手修行大師
    ・・・「お大師様と握手をして願い事をひとつだけ あれもこれもはいけません お大師様も忙しいですから」とのこと

  • 薬師如来の薬壺(薬師のつぼ)
    ・・・からだの健康を念じて書いてある体の部位に触れご真言を唱える

  • 唐椿とうつばき
    ・・・4月初旬ごろには伊予の十大名椿といわれている唐椿が美しいという

握手修行大師
参拝後の景観、桜がきれいな季節でした


写真


次は、第60番札所横峰寺よこみねじへ参ります。

2022年7月2日投稿
2022年10月9日改訂


合掌

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