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「車でお遍路」満願成就 高野山 金剛峯寺(大師に結願をご報告!)
こんにちは、旅いこかです。
四国八十八箇所巡礼、お遍路の旅を終え弘法大師への結願のご報告は、
総本山 金剛峯寺
和歌山県と奈良県の県境に位置する場所、
車でお遍路も、いよいよ大師が今なお人々の救済を祈り続けている真言密教の聖地へ。
「金剛峯寺」と聞くと一般的にはお寺の境内を思いますが、「高野山 金剛峯寺」に限っては弘法大師が開いた日本仏教の聖地であり「一山境内地」と称して高野山全体がお寺なのだそうです。
中でも、2004年には「紀伊山地の霊場と参詣道」としてユネスコ世界文化遺産登録。金剛峯寺としては、6地区(伽藍、奥院、大門、金剛三昧院、徳川家霊台、本山)が世界文化遺産の対象。
登録された理由は、
「山や森などの自然を神仏の宿る所とする信仰が形作った景観」の代表例
として高く評価された由縁。
特に本堂のある「壇上伽藍」と大師が入定する「奥之院」は2大聖地として信仰を集めています。
金剛峯寺の本堂はというと、壇上伽藍にそびえる「金堂」が一山の総本堂。そして、山内に点在するお寺は塔頭寺院といい、大師の徳を慕う子院117ヶ寺があり、うち51ヶ寺は参詣者のための宿坊でもあります。
なんともスケールが大きいですね。
開創の物語
大同元年(806年)、大師が唐から帰国の途次、「伽藍建立の地を示し給え」と念じて持っていた三鈷を投げた。
そして、その三鈷を求め大和国宇智郡(奈良県五條市付近)に入った時、手に弓と矢を持ち白と黒の2匹の犬を連れた猟師に出会った。
大師は猟師に「伽藍を建てるのにふさわしい場所を求めて歩いている」と伝えると、猟師は「それならば、ここから少し南の紀州(和歌山県)に良い場所がある。犬に案内させましょう」と言い姿を消したという。
この猟師は、狩場明神だという。
大師は、その犬に導かれ、紀ノ川を渡り険しい山中へ入ると、また出会った一人の女性から、「わたしはこの山の主です、この山を貴方に永久に献上しましょう」と告げられた。
この女性は丹生明神であり、
後に大師は、この地に導いてくれた狩場明神(高野明神、高野御子大神)とこの地の寺領を提供してくれた丹生明神(丹生都比売大神、狩場明神の母神)との二柱の神を高野山の地主の神さまを祀る社丹生官省符神社を建てました。
そして、高野山に登り、さらに山中深くへ行くと、そこに忽然と幽邃な大地が現れた。大師は、「これこそ真言密教を広めるのに適したところ」と喜んだという。
しかも、大師は、その場所(現在の壇上伽藍の地)の一本の松の木の枝に三鈷が掛かっているのを見つけ、この山を開くことを決意したという。
後の弘仁7年(816年)、大師は嵯峨天皇に高野山の下賜を請い、開創の勅許を賜る。そして、木を伐り、山を拓き、堂塔を建て、伽藍を築いた。
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入定
入定とは、「禅定に入る」という意味であるが、
ここでは、弘法大師が奥之院の霊廟に入り現在も禅定を続けているという信仰。
大師は、天長9年(832年)の万灯・万華会の願文に「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願いも尽きん」と記したという。
つまり、「この宇宙の生きとし生けるものすべてが解脱をえて仏となり、涅槃を求めるものがいなくなったとき、私の願いは終わる」との大誓願を立てた。
そして、大師は、62歳の承和2年(835年)3月21日寅の刻を入定の時と決めて弟子に伝え、入定から50日目に高野山奥之院の霊窟に納められた。
弘法大師
壇上伽藍
弘法大師が、高野山全体が境内という「一山境内地」の金剛峯寺の伽藍整備を最初に着手した中核にあたる場所、胎蔵曼荼羅の思想に基づいて創建した密教伽藍の総称。
奥之院
弘法大師が入定されている聖地。大師は今も、
「瞑想して仏さまになり、人々の救済を祈り続けている」
一の橋から御廟まで約2㎞の参道には、約20万基を超える諸大名の墓石、記念碑、慰霊碑が立ち並び、御廟橋より先は霊域であり大師が禅定を続けているという最も神聖な場所。
没後1200年以上経った今も、維那とよばれる仕侍僧が、毎日衣服と2回の食事を御廟に給仕する「生身供」が行われている。
食事は、運ばれる前に毒見もされ、「一飯一汁三菜」の五品と決まっているとのこと。
この食事には、スパゲティーやラーメンのときもあるそうな😲
それは、大師からのオーダーだろうか? 好奇心の旺盛な大師だからかなぁ???
ご詠歌
ありがたや 高野の山の 岩かげに 大師はいまだおわしますなる
最後に
私は、この奥之院の霊域に入り、弘法大師に四国八十八ヶ所巡礼「同行多人(私の造語)」の旅を無事結願したことを報告、そして感謝を述べ、お遍路の満願成就を迎えることが出来ました。
そして、参拝後、帰り際に御廟の橋の上で一礼したところ、
新たな修行が「始まった!」
と心の中で静かに頷いた瞬間でした。
合掌