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「車でお遍路」第50番札所 繁多寺(踊念仏を唱える一遍上人ゆかりの寺)
こんにちは、旅いこかです。
四国八十八箇所巡礼、弘法大師との「同行二人」の旅、50番目のお寺は、
東山 瑠璃光院 繁多寺
49番札所の浄土寺から約2.3㎞、車で約5分の場所、
浄土寺から県道40号線をさらに松山市中心部に向かい1㎞強、すぐに小高い山にのぼっていくと繁多寺の駐車場に着く。そこから徒歩約1分で山門前の広く美しい参道が現れ、自然と身が引き締まる。
この繁多寺は、第49番札所浄土寺が浄土教で「南無阿弥陀仏」と唱える念仏信仰の先駆者といわれている平安時代中期の僧侶空也上人(903-972年)ゆかりのお寺でであったことにつづき、鎌倉時代の時宗の開祖で民衆と共に「南無阿弥陀仏」と踊念仏を唱えた一遍上人修行の地でゆかりの地でもある。
では、松山市内五番目の札所「繁多寺」へ参りましょう。
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ご詠歌
よろずこそ 繁多なりとも 怠らず 諸病なかれと 望み祈れよ
お参りする前に知っておいた方が良い知識
歴史
天平勝宝年間(749-757年)、孝謙天皇の勅願により、行基菩薩が自身で彫った薬師如来を御本尊として祀り光明寺の寺号で開基
弘仁年間(810-824年)、この地を巡錫中の弘法大師は、寺号を繁多寺に改名して四国霊場に定めた
その後、寺運は一時衰退するが、伊予の国司などの支援により再興
弘安2年(1279年)、後宇多天皇の勅命により蒙古襲来の退散祈祷がされている
正応元年(1288年)、伊予の領主河野家に生まれた時宗の開祖である一遍上人は、若き頃に繁多寺で修行をした後、亡き父の追善のために「三部経」を奉納
応永元年(1394年)、後小松天皇の勅命により天皇家の菩提寺である京都泉涌寺から快翁和尚が第7世住職に就き、以降も高僧が来往
天和年間(1681-1684年)、徳川家の帰依を得て四代将軍家綱は3体ある念持仏(身近に置いた仏像)の一つを歓喜天堂に祀り、寺運は隆盛を極める
大師伝説
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寺号について
院号について
・・・御本尊の薬師如来の正式名称薬師瑠璃光如来から「瑠璃光院」と命名
ご利益
御本尊の薬師如来
・・・大医王仏、医王如来とも呼ばれ、十二誓願の現世利益の仏さま(病気平癒、他)歓喜天堂
・・・厄除け、夫婦和合、商売繁盛にご利益があると人気
御本尊・ご真言
御本尊:薬師如来
ご真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
見どころ
繁多寺は、「南無阿弥陀仏」と唱える第49番札所の平安時代中期の僧侶空也上人ゆかりの寺に続く空也上人を先達と尊信した鎌倉時代の僧侶一遍上人ゆかりの寺。
本堂
・・・御本尊に行基菩薩作の薬師如来、脇侍に日光・月光菩薩を祀る鐘楼の二十四考天井絵
・・・中国において、後世の範として孝行が特に優れた人物24人を取り上げた書物から描かれた鐘楼の天井画歓喜天堂
・・・仏教守護神の一つである歓喜天を祀る堂宇、繁多寺の歓喜天は徳川家四代将軍家綱の3体ある念持仏の一つその他
・・・広葉樹の木々の森を背景に建てられた美しい伽藍、そしてその前面には松山市内の松山城まで見渡せるという素晴らしい展望
写真
次は、第51番札所石手寺へ参ります。
2022年6月10日投稿
2022年10月4日改訂
合掌