土と共に生きる
年を越す前にビニールハウスの畑を綺麗にした。
その畑は私の自宅横にあり、好きに使わせていただいている。
しかし元々は取り壊す予定だったビニールハウスで、私が頼み込んで管理させていただいている状態。
いつまで使わせていただけるかわからないが、私としては守っていきたいと思っている。
今回の旅のテーマは「土と生きる」
人間本来の生き方について考えてみたいと思います。
私と畑との縁
私が畑に興味を持ち始めたのは2021年頃。
コロナ騒動に違和感を感じ、食についても考えを見直し始めたことがきっかけ。
全てはあの騒動があったおかげであり、世の中全体は不健康になっているのに、私は年々健康になっている。
あの騒動(今も?)には感謝しかなく、唯一のデメリットは価値観が分かれたことにより、話す内容を人によっては気を遣わないといけなくなった点。
まあ今やそれもどうでもよく、日常生活にせよ記事上にせよ価値観を押し付け合うことなく、平和に過ごせればそれで良い。
今後もこの記事に限らず常に本音で書きますが、もし不愉快に思う表現があれば先にお詫びしますね。
さて、畑と私の人生に縁が生まれたのは先に書いた通りで、かと言って実際自分がやるとなると道のりは険しい。
最初は市民農園に始まり、管理の難しさを痛感。
そうこうしてる間に、近隣の畑はどんどん宅地になっていく。そのことに危機感を感じ、隣地のビニールハウスも取り壊すと聞いたときには思わず「私に管理させて下さい」と言葉が出ていた。
そこから今に至る。
結果としてビニールハウスは取り壊されなかったが、それはそれで維持は大変。
だけどやってみたからこそ気付くことが多々あり、やはり私達人間は土と共に生きることが大切だと感じる。
土(アナログ)から遠ざけられる現代社会
およそ社会というものは不自然でしかない。
不自然が度を越し、今崩壊寸前にきている。
私は会社員だが、一日救急車に3、4台は遭遇する。会社では常に体調不良者がいて、もはや欠勤者がいない日は皆無となった。
マスク、ワクチンを徹底している人はよく高熱を出して休むし、とにかく不健康な人が多い。
しかし誰も「何故そうなっているのか?」は考えず「TVで◯◯が流行っている⇒それが原因」となるらしい。
何故マスク、ワクチンを一切しない私が誰よりも健康なのか疑問に思って欲しいところだが、それはたまたまと思うのかもしれない。
さて、そんな私が畑をやっているのも変な奴となるのだろうけど、私は「やらないと死ぬ」と言ってもいいぐらい必須と思っている。
授業で言う「体育」の位置付けで、健康的にも身を守る為にもなくてはならない。
土に触れることにより体の調子は確実に良くなるし、無農薬で自然に育った野菜は「これが本来の食べ物」という柔らかさがある。
畑を観察すると自然の循環を肌で感じるし、自分の発しているものが土に反映されていることにも気づく。
「生きていく」
とは本来はこれで、社会に「こうしなさい」と言われてそれに従うことは、それに反していないか?
生きる力が弱体化している正体は、人が意図をもって作るルールという社会に他ならない。
敢えてのオフラインとアナログが鍵
今、人と人との関わりが少なくなるよう、人為的に色々なことが進められている。
まあ便利だし、その方が楽だ。メリットもある。
だけど店員の顔もマスクで分からず、親の死に目にも感染症を理由に会わせないとか、ちょっとよくわからない。
顔が見えないならロボットでもいいし、人を救うはずの病院が人を断絶するとは不自然極まりない。
でも誰も何も言わない。
考えることを止め「仕方ない」が口癖になった人間って機械的に見える。
そうなるのが嫌なら考えるしかない。
感じるしかない。
その近道は「人と会うこと」「行動すること」
およそ面倒だと思うことが、実は情報量が多い。
何故なら人間は脳だけでなく、五感があるからだ。
更に五感以外にも封印されている感覚がある。
それらが感じ取れるのは「脳」だけでは無理。
考えるな感じろ。
正にそれである。
まとめ 土と共に生きる
私は土の中の微生物がどうとか、細かいことはよくわからない。
でも土に触れた日は身体の調子が良くなるし、生きている実感を得られる。
そこで出来た野菜は美味しいし「食料に困ったらジャガイモを植えればいいや」って安心感にも繋がっている。
あれこれ考えず、自分が良いと思うから良い。
深い理由は必要ない。
でも正直草刈りは面倒だ。面倒を排除するには除草剤、野菜には消毒を使えば管理が楽だろう。
そのことに対し、農家でない私はどうこう意見を言える立場にない。
そんな感じで四苦八苦しているが、つい先日知り合いに草刈りを手伝ってもらった日があった。
普段、黙々と一人でする作業も、話す人がいると苦は半減し楽しさは倍増する。
時間が経つのがあっという間だった。
作業後、コーヒーを飲みながらの一服はこれまた格別。
私は電脳の世界など興味がない。
それが時代遅れと言われても関係ない。
だってアナログが楽しい。(と感じる)
土や自然はそれをダイレクトに教えてくれる。
人生という旅は制限されてるようで、実はどこまでも自由だと思う。
そのことに気付き、新しい世界を創るステージが今進行中。こんな楽しいことはない。
留まるか飛び出すか。何を感じ何を選ぶか。
判断はあなたに委ねられている。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
また次の旅でお会いしましょう。
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