「ただ、ひたすら、きつい」
私の家はパン屋さんです。もともと祖父が焼き菓子屋さんを始めたのが、昭和元年12月。その後、私の両親がパン屋として再オープン。家業は同じ場所で、95年以上です(パン屋は2022年で50年です)。パン屋のお客様の中には4世代でいらっしゃるご家族も在ります。そんな雰囲気もあってか、空いた時間になると、うちの母がお客様とじっくり話し込んでいる、なんて姿はもう1度や2度、いや1000回や2000回ではありません(多分オーバーじゃないです笑)
今回、私が乳がんになって改めて気づいたことがありました。それは「病院帰りの人がフラッと立ち寄る」ことが多いのです。いや、今までも気づいてはいました。でも「お母さん、また自分の仕事が遅くなっちゃうよ。。?」という気持ちの方が強くて、あんまり気にしてなかったんですよね、私が。
でも思えば、母は、朝から晩まで(時には深夜から深夜まで何日も)というハードワークをしながら、両方の祖父母の介護をしていた時もあった人で。あらゆる場面の心情を理解しやすい立場だったんだと思います。だからお客様たちも母にいろんな話をし易かったのだろう、と。それなのに私や父は、話が早く終わるように促したり焦らせたりして、申し訳ないことをしたこともあったんだろうなあと、振り返ってみて反省してます。
パン屋の周囲徒歩15分圏内には結構な数の病院が在ります。鹿児島市立病院も在ります。鹿児島市電の駅も徒歩すぐなので、そういう方がたまたま通りかかったり、「ここに寄るのが楽しみなのよ」とわざわざ立ち寄ってくださったり、です。
そんな中、やはり乳がんの患者さんで、定期的な抗がん剤治療のたびにパン屋に来てくださる方たちがいます。母の話だと「とにかく、ツライ」これに尽きるそうで。調子がいい時と悪い時と両方持ち合わせてらっしゃる人も居れば「いらっしゃるたびにグッタリされていて。。」という人もいる。つい先日いらした方はもう本当にキツそうで、母は私の乳がんとその人の状況を被せて「想像」してしまって、私に話すときに涙ぐむんです。
私は本当に本当にラッキーで、ステージゼロイチで発見。病理検査結果もゼロ。もしかしたら温存でも良かったのかも?しれないけれど、私自身がずいぶん早い段階で迷いなく全摘を選びました。そこには私なりの理由が在ります。→ここに少し参照note「温存か?全摘か?」
その方はステージ中ほどで、温存。バリバリ仕事をされるいわゆる「出来る人」なイメージです。「もっともっと仕事したいのに、身体が動かない」「帰ったら何もしたくない」と話していかれるそうです。私は何人もの人たちに言われ続けています。特に治療経験者です。「本当に、本当に、抗がん剤治療がなくて良かったね!」コレはもうなんというか、身体の奥の血液のもっともっと奥の方から出てきたような言葉です。
私の友人の1人が約10年前に乳がん全摘。ステージは4だったようで、センチネルリンパ節生検ではリンパを30個近く取ったようです。そしてその後、別のがんも見つかって、また治療。私が退院後、いろんな話を聞きました。リンパ浮腫が脚まで発症したと!あの、検索して写真で見た「像のような」脚の経験者が、ここにいたっ。。。!!!その方もやっぱり同じように「抗がん剤治療後はなーんにもしたくない」って言ってました。とにかくきつい。子育て中なら、日々の食事、洗濯、掃除色々やりながらで、それでも「何もしたくない」。
私は、自分に置き換えてゾッとしています。もし自分がその立場だったら?と思うと。。。先日リンパ浮腫のスリーヴを試着しました。着けるのメーーーーーーーーちゃくちゃ面倒くさい。や、そんなこと言ってる場合じゃない。やらなきゃ治らない。そんな生活、したくない!!!!!
私は今、基本元気です。もちろん、前述したリンパ浮腫のリスクが全く無いわけではありません。それでも、抗がん剤治療を免れたおかげで、日常を取り戻しつつあります。取り戻す、は違うかな。生活は180度変わりました。案外やれないことが多いので、それに合わせた生活が日常になってきています。
あの時。診察のキャンセルしたままだったら。。。!と、今でもふと思います。無症状でなんにも気づいてない私の身体の中の癌細胞は、侵食をして行ってたはずです。「はたらく細胞」っていうアニメがあります。癌宣告をされてから、観ました。がん細胞のくだりはもう、ほぼ「鬼滅の刃」です(どっちもアニメの例えw)。癌細胞って、鬼なんだな!しかも、簡単にはくたばらない。
そんな簡単にはくたばらない鬼を、化学療法の治療チームがやっつけてくれようと日々頑張ってくださってる。いやあ、本当に医学の進歩ってすごいです。10年前と今じゃ、治癒の確率も断然増えている。それでも日々、あらゆる病気の患者さんたちが生まれていく。私は、がん宣告されたけれど、こんなに元気であることが、なんだか申し訳ない気持ちにもなったり。いや、だからこそ。私はラジオで話したり、こうやって書いたり、周囲の人々に伝えていかなくちゃ。
ふと思い出す表情があります。私が退院する時でした。私と入れ違いに入院の患者さんがいて、思わず「この病院居心地最高ですよね!また入院したいくらい」って言っちゃったんです。私は入院の不安を取り除こうという意識でしたが、その人は少し目を潤ませて首を横に振りました。私はあの表情を忘れていません。そうか、抗がん剤治療の患者さんだったんだ、と。その時はそういう風に見えなかったのです。でも大きな失態失言でした。
乳がんは治る病気。
そう思い込んでました。確かに治る。
でもそれには「早期発見早期治療」が必須。
「ただ、ひたすら、きつい」治療を乗り越えるツラさ、大変さ、よりも前に!まずは早期発見、早期治療、でしょ?(何度でも言います)
私は2年で、マンモグラフィー写真が真っ白に石灰化してました。たった2年です。ほら早く。予約して。