怒りや悲しみの感情と折り合いをつける
たまに見る同じような夢がある。設定は様々だけれど、その夢の中で、いつも私は夫の言動に傷ついて怒っている。それは明らかな不貞行為であったり、意地悪な態度であったりするのだけど、なぜか夫は全く悪びれない。私は、なぜ私が怒っているのか、なぜそれが間違った行為であるのかを一生懸命夫に伝えようとする。でも、夫にはそれが聞こえないか、または全く理解できないかのようで、その夫の態度に私はさらに苛立ち、怒りわめく。そして、そのうち悲しくなって、絶望する。そのもどかしさ、怒り、悲しみ、絶望感はとても現実的で、夢から目が覚めても、しばらくは立ち直れない。
夢と似たような経験を夫の精神疾患のせいで実際にしていたとはいえ、このような夢を見続けるのはなぜか、ずっと不思議だった。夫に限らず、人の言動に傷ついて、怒って、悲しみ、絶望する、この一連の感情に折り合いをつける方法をずっと探していた。そして、少しずつ分かって来たことがある。
まずは、自分がいつも正しいと思っていたということ。人が違う考えや価値観を持っているのは当たり前なのに、それらを目の当たりにするたびに間違っている、と怒っていた。特に、夫のような身近な人には、自分と同じであってほしいと強く望んでいたから、もっと怒っていた。でも、自分がいつも正しいわけではない。そもそも、何が正しいかなんて分からない。ただ異なる考えや価値観があるだけ、と気づいた。
次に、人にむやみに期待していたということ。自分の気持ちや要望をきちんと言葉にして伝えることもせず、人に察してほしいと思っていた。または伝える時も、怒ったり拗ねたりしていた。特に、夫のような身近な人には、分かってほしいとより強く望んでいたから、もっと怒っていた。でも、落ち着いて、まっすぐに、丁寧に伝えなければ人には伝わらない。たとえ伝わらなくても、または自分の気持ちや要望が受け入れられなくても、しようがない。人のことは変えられないのだから。
それらのことに気づいてから、夢の中でも、怒りわめく代わりに、落ち着いて丁寧に気持ちを伝えようとしていたり、悲しみ絶望する代わりに、しようがないと諦めたりしている自分に気づいた。もどかしさ、怒り、悲しみ、絶望感は変わらずあれど、以前ほど打ちのめされてはいない。少しずつ、それら一連の感情に折り合いをつけられるようになって来たということだろうか。とりあえずは夢の中から。
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