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人生はどれだけの仮面を被ってきたかだ

このタイトルは私が言われた言葉で印象に残っている言葉の1つだ。

人は学校、職場などさまざまなコミュニティに属し生活をしている。そこで多くの友人にも出会うだろう。

幸せなことに私には学生時代、小学校から大学それぞれに今でも付き合いのある友人を作ることができた。彼らとは今でも旅行に行ったりするし、結婚式には全員を招待したいと思えるくらいの関係であると個人的には思っている。

今回の話のきっかけは私が社会1年目の頃にさかのぼる。
社会人になりプライベートで学生時代の友人と会う際に(うまく言葉では表せないが…)心と体が一致しない感じを幾度となく体験した。例えば、学生時代はとても話があっていつも一緒にいた友人が別の人のように感じたり、話が合わなくなり、話題に事欠くようになりしたことはないだろうか。

個人的にはそれが原因で学生時代の友人から少し距離を取ろうかと悩んだ時期があった。そのことについて当時、相談した方にかけて頂いた言葉で少し気持ちが軽くなったのでせっかくだから忘れないうちに記しておこうと思い今回noteにまとめてみようと思った。

少し昔の記事にはなるがこんな調査を見て、私と同じ悩みを持つ(持っていた)人も少ないのないのかなと思っている。
仲が良くても疎遠になる? 大学時代の「いつメン」と定期的に集まっている社会人は約2割
参照:マイナビ学生

この記事がそんな人の選択肢の1つになれば一石二鳥だ。

人が変わるのは当たり前

社会人になり久しぶりに中学時代の友人とごはんに行った。
お互い社会人1年目で、友人は大企業に勤めていた。ご飯を食べながら仕事の愚痴も出てくるものだが、いまいち共感できない…

別の日には、高校時代の友人との久しぶりの再会。学生時代キャリアウーマン思考の強かった友人は大学も経営学部系に進み海外で働くことを夢見ていたが、現在は東京を離れ地方に移住しており学生当時のキャリアウーマン思考は一切なく別人の様で驚いたと同時に戸惑った。

環境が変われば周りにいる人も考え方も変わるのは当たり前。そして、新しいコミュニティに身を置き変わることは決して悪いことではありません。

その当たり前のことに、頭は理解していても戸惑いの方が大きくせっかくのご飯の時間も楽しいと感じることはなくなってきた。今思うと若干の寂しさのようなものだったのかもしれない。

学生時代の友人と社会人時代の友人

当たり前かもしれないが、同じ「友人」でも学生時代にできた友人と社会人時代にできた友人は違うと私は思っている。

これは「コミュニティの形成方法」の違いからくるものだと考える。

学区や偏差値で集まった学校というコミュニティとは異なり、職場というコミュニティはなんらかのビジネス的興味という共通点をもった様々なバックグラウンドを有した性別年齢も異なる人の集まりだと思っている。

ここでのポイントは「興味という共通点」だ。

もちろん、職場とプライベートはきっちり分けたい派の人もいるだろうしすべての人が仕事に興味をもって勤めているわけではないだろう。そういう人は学生時代や職場以外のコミュニティの人といる時間が多いのではないだろうか。興味を共有したコミュニティがそちらにあるからであろう。

だからというわけではないが「そこに住んでいる」や「同じくらいの偏差値」という理由だけで集められた学校というコミュニティでできた友人と今でも付き合いがあることこそ私からしたら奇跡だと思っている。

少々話はそれたが、社会人1年目の私は学生から社会人になり生活環境や考え方も変わった友人の変化を戸惑い、自分自身の考え方の変化にも焦りと恐怖を覚えるようになっていた。

時間が解決してくれる

学生時代は「いつメン」や「ズッ友」などと言われることもあったが、実際に社会にでて働いてみると、それぞれの生活環境も変わりタイミングが合わず疎遠になる友人もいる。

当時、友人や自身の生活環境などの変化を楽しむ心の余裕はなく、むしろ戸惑いの方が大きかったが今となっては時間が解決してくれたなと思っている。

心友と呼べる人や、なんでも話せる人は大人になってからでも出会えます。だから、無理に昔の友人に固執し続けることはむしろ自分自身を狭めることになると思いました。そのため、当時は呼ばれたら出向くことはあったが自分から無理に学生時代の友人に会うことはしなかった。

そうすることで、少し心は軽くなったと思う。それに、現在は変わって昔の友人とも会うようにしている。各々、全国各地で生活をしている友人の話は刺激的に感じるし、当時よりもお互いの変化や自分自身との違いについて楽しめるようになったからだ。

人生はいくつの役割をもったか

最後に、当時もやもやを抱えていた時にかけて頂いた言葉の中で今でも自分の中に活きている言葉を残しておくことにする。

人生はいくつの役割をもったかである。つまりは、どれだけの仮面をかぶったかである

学生時代の友人の前での”私”と職場での”私”は当時同じだと考えていたし、このまま”私”は変わらないと思っていた。変わることが昔の自分を否定するような気がしていたからかもしれない。

しかし、その人は私は「変わる」のではなく「何人もの私がいる」のだと教えてくれた。

素の”私”、仕事の”私”、高校時代の”私”...すべてが私の仮面をかぶっていてそれぞれの”私"に与えられた役割があるのだと。


最後に

それぞれの仮面を切り替えられる、やる気スイッチならぬ「自分スイッチ」があると気持ちが切り替えやすくなるという。

「自分スイッチ」は何でも良い。
例えば、
・化粧をする
・スーツの前ボタンをとめる
・ヒールを履く  などなど

ぜひ、自分なりの「自分スイッチ」を見つけてほしい。

話は変わるが、歌手のテイラースウィフトは赤い口紅を付けると自分スイッチが入るとどこかのインタビューで答えていたのを思い出した。

皆、どこかに自分スイッチを持っていて、いくつもの仮面をかぶり各々の役割を果たしながら自分を保っているのかもしれない

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