春のカザフスタンで手に入れた、たったひとつの旅のお土産
この春、中央アジアのカザフスタンを旅してきた。
旅に出る前、「どうしてまたカザフスタンへ?」と不思議そうに訊かれることもあった。
それこそ村上春樹さんのラオスのように、「カザフスタンにいったい何があるというんですか?」というニュアンスを込めて。
正直に言えば、カザフスタンで何を見たいとか何をしたいというわけではなかった。
去年の秋、ウズベキスタンを旅したら、なんとなく隣のカザフスタンへも行ってみたくなった。
たぶん、それ以上の理由はなかったように思う。
そんな単純な思いで行くことになったカザフスタンでも、アシアナ航空の飛行機が中国の大地を越え、眼下にアルマトイの壮大な夜景が広がったときは、思わず心動かされた。
首都のアスタナを凌ぐ、カザフスタン最大の都市とは聞いていたけれど、こんなにも大都会とは思っていなかった。
それはまるで、柔らかい暖色の宝石をいっぱいに散りばめたみたいな、美しい夜景だったのだ。
ユーラシア大陸の真ん中に、これほどの大都市が存在する……。
自分の目でそれを見ることができただけでも、ひとまずカザフスタンまで来た甲斐はあったな、とひとり嬉しくなった。
さっそく翌日、アルマトイを気ままに散策することから、カザフスタンを巡る旅が始まった。
アルマトイは、アジアよりもヨーロッパを肌に感じる都市だった。
整然と碁盤目状に区画された街並みと、ソ連時代の面影を残す無機質な印象の建物。
多民族の都市らしく、カザフ系の人はもちろん、ロシア系の人の姿も多く、お店へ入ればロシア語の「スパシーバ(ありがとう)」をよく耳にする。
なかでも素晴らしかったのは、街中の公園に建つ、ゼンコフ教会だった。
鮮やかな黄色に塗られた外壁と、玉ねぎのような形をした黄金のドームを戴く、ロシア正教の教会だ。
中へ入ると、幻想的なステンドグラスの光が照らす中、スカーフを頭に巻いた人々が静かに祈りに訪れていた。
もしかすると、自由にロシアへ行けなくなったいま、このアルマトイこそ、日本から1番近いヨーロッパなのかもしれなかった。
もうひとつ、アルマトイで感激したのは、街並みの向こうに望む天山山脈だった。
その最高峰は、富士山の倍近くもの標高があるという。
真っ白な雪を戴く天山山脈が、近代的なアルマトイの街並みに迫るように聳える光景は、一枚の絵画を見ている気さえする美しさだった。
夕方、コクトベという名の丘へ上ると、ふらっとすぐに行けそうなくらい近くに、天山山脈が浮かび上がって見える。
それはアルプス山脈やヒマラヤ山脈にも負けていないかもしれない、と感じさせる、圧倒的な眺めだった。
やがて、夜が訪れると、天山山脈は消え、眼下のアルマトイの街並みが静かに煌めき始める……。
アルマトイからは、カザフスタン鉄道に揺られ、西へと向かった。
朝、これもまたソ連の風情が残る駅から列車に乗ると、車窓を流れる草原地帯の雄大な風景をひたすらに眺め、夕方、地方都市の駅に到着する。
このカザフスタン鉄道で過ごした時間が、どこまでも退屈で、だからこそ贅沢で、ささやかな幸せを感じさせてくれた。
嬉しかったのは、「食堂車」の発見だった。
車両から車両へと渡り歩いていくと、不意に、通路の両側にテーブルが並んだ車両に辿り着き、そこで乗客たちがのんびりと食事を楽しんでいる。
それが、タイムスリップしたような懐かしさに溢れた、食堂車だったのだ。
カザフ語とロシア語だけのメニューと苦闘しつつも、その食堂車では、メンチカツみたいなカツレツだったり、ただの肉野菜煮込みみたいなビーフシチューだったりを食べた。
どの料理も家庭的な味わいで、レストランの美味しさほどではなかったけれど、その素朴さが旅人の心をホッと癒やしてくれる気もした。
テーブルの横の窓には、名前も付けられないような、緑の草原地帯がどこまでも流れていく。
そんな淡い風景を眺めながら、列車の心地良い揺れで味わう食事は、時間が流れていくのがもったいないほどに、安らぎを与えてくれるものだった。
食堂車からの帰り道、カザフ系の子供たち(3人姉妹だった)に出会って、一緒に写真を撮り合うこともあった。
日本語の「こんにちは」とか「ありがとう」を教えてあげると、びっくりするくらいすぐに覚えて、楽しそうに何度も口にしていた。
彼女たちと手を振って別れるとき、ただ会っては別れるだけ……という旅人の切なさのようなものを、感じたりもした。
鉄道に揺られ、さらにマルシュルートカと呼ばれる乗合バスにも揺られ、辿り着いたのは、テュルキスタンという都市だった。
ここまで来れば、ウズベク系の人も多くなり、アジア的な色彩が濃くなっていく。
テュルキスタンで見たかったのは、ホージャ・アフマド・ヤサヴィー廟という世界遺産だった。
中央アジアにおいては、あのメッカにも匹敵すると言われる、イスラム教の巡礼地だ。
ありふれた街並みの中を歩いていくと、やがて遠くに、巨大な青色のドームを戴くヤサヴィー廟が見えてくる。
いや、それは正しくは、青ではなかった。
蒼、と、碧、……2つのドームが鮮やかに輝く、壮麗な美しさの廟だったのだ。
建築だけでなく、そこに集まってくる巡礼者や観光客の姿もまた魅力的だった。
彼らには、憧れの場所へ来ることができたという、深い喜びがあるようだった。
写真屋さんに記念写真を撮ってもらっていた家族は、壮大な廟を背に、ちょっと緊張しつつも、嬉しくてたまらないといった表情に溢れていた。
もちろん、それは僕も同じだった。
はるか遠い日本から、飛行機に乗り、鉄道に乗り、バスに乗り、ようやく辿り着いた場所なのだ。
ただの旅人の僕にとっても、その廟の輝きは、いつまで見ていても飽きることのない美しさだった。
周囲の街中を散策してから、夕方、再び廟へ戻ると、その上には、まるでカザフスタンの国旗のような、澄みきった青空が広がっていた。
いま自分は、確かに、ユーラシア大陸の真ん中にいる……。
そう心から実感できただけで、ただ嬉しかったのだ。
特別な何かがあったわけではないけれど、いい旅だった。
それは旅の最終日、夕暮れのアルマトイの街で、こんな思いに包まれている自分を感じたからだ。
その日曜日の夕方、アルマトイの中心部にある、アルバートという歩行者天国を歩いていた。
オレンジ色の西日に照らされて、カザフ系の人も、ロシア系の人も、どこか楽しそうに、夕暮れの中を行き交っている。
買い物袋を手に提げた家族連れ、ベンチで笑い合う学生たち、その傍らでギター片手に歌うストリートミュージシャン、手を繋いで歩いていく老夫婦……。
そんな彼らの姿を眺めていると、ふと、このカザフスタンという国の、そしてカザフスタンの人々の、ささやかな平和を願わずにはいられない自分がいたのだ。
次にいつ、この国へ来られるかはわからない。
でも、その日まで、この国の穏やかな日々が続いてほしい……。
ひとりの旅人として、この旅で得ることができたものがひとつあったとしたら、それはたぶん、カザフスタンの平和をただ祈ることのできる「気持ち」だったような気がする。
その夕暮れ、僕はアルマトイの街角で、旅でしか手に入れることのできない、そんな最高のお土産を手に、旅を終えたのかもしれなかった。