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旅先で移動する時間って、なぜだか心に残っていく
旅というものを、「滞在する旅」と「移動する旅」の2種類に分けるとしたら、この秋に旅したトルコは、「移動する旅」だった。
その移動に利用したのは、主に長距離バスだ。
イスタンブールから、世界遺産の町であるサフランボルまで、約7時間。そのサフランボルから、カスタモヌという地方都市まで、約1時間半。そしてカスタモヌから、黒海沿岸の都市であるトラブゾンまで、約11時間。
旅に出る前、計画を立てながら迷ったのは、そのバスでの移動を、昼にするか夜にするか、ということだった。
昼のバスに乗れば、トルコの風景をゆっくりと眺めながら移動することができる。一方で、夜のバスに乗れば、移動そのものはさして楽しめなくなるけれど、観光や街歩きにはたっぷりと時間を使えるようになる。
10日間にも満たない、短い旅だった。だから、バスに乗っているだけで貴重な昼の時間を費やしてしまうのは、少しもったいないかな、と思わないでもなかった。
ただ、僕は迷った末に、すべて昼のバスに乗って移動することを決めた。
ふと、せっかくトルコの大地を横断するのに、途中の風景を何も眺められない夜のバスに乗ってしまう方が、はるかにもったいないことのように思えたからだ。
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イスタンブールからサフランボルまでの道のりは、大都会から郊外、そして山間部の田舎へと、風景が移り変わっていく旅路だった。
その日はトルコ建国を祝う共和国記念日で、町中のビルや家々には赤と白のトルコ国旗が掲げられていた。たぶん、今日はトルコ中に、何万、いや何十万もの国旗がはためいているのだろう。
バスは想像以上に快適で、チャイやお菓子のサービスまであるくらいだった。乗客も不思議なくらい静かで、バスの中には穏やかな時間が流れていた。
やがて、車窓の風景はのどかなものになり、美しい山々や丘陵地帯が広がるようになる。
そんな風景をぼんやり見つめていると、あるとき、心の中が空っぽになっている自分に気づく。
何かを考えているようで、ほとんど何も考えていない。でも、それがなぜだか心地良い。
バスでも鉄道でも、車窓の風景を眺めながらひとり過ごす、こんな時間が好きだ。自分自身は何も動いていないのに、窓の外の風景は移ろっていく。ただ受け身になって、その流れていく風景を見つめていれば、それでいい。
それは僕にとって、心の中を浄化できる時間なのかもしれない。
車窓の風景を眺めているだけで、余計なことは忘れて、ゆっくりと素の自分に還っていけるような気持ちに包まれていくからだ。
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サフランボルからカスタモヌまではあっという間の道中だったけれど、そのカスタモヌからトラブゾンまでの道のりは果てしなく長いものだった。昼の12時過ぎに出発したバスがトラブゾンに着くのは、なんと夜の11時過ぎなのだ。
それでも、その延々と続くバスの旅は、素晴らしいものだった。
豊かな緑が輝く田園に、鮮やかに黄色く染まった木々、遠くに連なる山々の稜線……。そうした風景を眺めていると、こうしてトルコの大地を移動しているという確かな事実に、思わず心が動かされていく。
ときにバスは、聞いたこともないような名の町に停まって、わずかな客が乗り降りする。
窓の外には、野菜や果物を売る商店が並び、その前の歩道を住民らしき老人や親子連れがゆったりと歩いていく。その町角の風景は、すぐ目の前にあるはずなのに、不思議とはるか遠くに感じる。
たぶん、僕にとってその町は、こうして通り過ぎることはあっても、決して降り立つことだけはあり得ない町だからなのだろう。きっと、人生で永遠に。
やがて、黒海に面したサムスンという町へ着く頃、夕暮れが訪れる。
薄くなっていく青空と、オレンジ色に染まった雲。バスの中から見つめる夕景は、どこまでも優しく、心の中に沁み入ってきた。
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夜の黒海沿いを走り続け、ようやくバスがトラブゾンに着いたとき、ちょっとしたハプニングに見舞われた。
あまりにもぼーっと過ごしていたせいで、トラブゾンのバスターミナルに着いたことに気づかず、そのまま乗り続けてしまったのだ。
トラブゾンの町を離れてから、車掌さんに声を掛けられ、乗り過ごしたことに気づいた。なんと、このバスはこれから、隣国ジョージアのバトゥミという都市まで行くらしい。
状況を察した車掌さんは、運転手さんに伝えて、バスを停めてくれた。ここからなら、タクシーに乗れば、トラブゾンまですぐに戻ることができるという。
僕は車掌さんにお礼を言って、バスを降りた。そして幸運にも、タクシーは簡単につかまった。
そのタクシーに乗ってトラブゾンへと戻りながら、僕は思っていた。
あのままバスに乗り続けていたら、いったいどうなっていたのだろう、と。
もちろん、さすがにジョージアに着く前には気づくことになっただろう。でも、もしも気づかずに乗り続けていたら……と想像すると、ゾクゾクっとするような刺激的な快感を覚えた。
もしかしたら僕は、心のどこかで、そんな展開を求めていたのかもしれない。
それも、「移動」というものがもたらす、旅の誘惑だったのだろう。
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こうしてトルコの旅では、サムスンからトラブゾンまでの区間を除いて、すべて昼のバスに乗って移動することができた。
旅を終えたいま、その選択はなかなか悪くないものだった、と思っている。
確かに、夜のバスに乗っていれば、もっと観光や街歩きをたくさん楽しむことはできたかもしれない。
でも、旅の魅力は、それだけではないように思うのだ。
バスの車窓を流れる、ありふれた風景を眺めるだけの時間にも、旅の素晴らしさはあるような気がする……。
町と町の間に広がる、名前のない田園や丘陵地帯。あるいは、存在すら知らなかったような、通り過ぎるだけの小さな町。
絶景でもなく、珍しいわけでもないけれど、なぜだか静かに心が動かされていく車窓の風景がある。
そんな風景を見つめることができるのも、夜のバスではなく、昼のバスに乗るからこそなのだ。
旅先で移動する時間が、単なる移動ではなく、かけがえのない旅の時間になっていく。
何気ないようで、不思議と心の中に深く残っていく、そんな時間が僕は好きなのだと思う。
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いまでも、トルコのバスの窓から見つめていた、遠くの山々や静かな町並みの風景がふっと思い浮かぶことがある。
誰に自慢することもできないけれど、そんな風景もまた、旅で得ることのできた、心の中の小さな財産なのだ。
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