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心の中でシャッターを切った、旅の風景のこと

旅に出たら、心の動かされた風景は、なるべく写真に撮っておきたい、と思う。

もちろん、自分の目でしっかり見ることも大切だ。

でも、写真に残しておくことで、何年経ってもそれを見返すと、一瞬でその旅の思い出に浸ることができる。

まさに旅人にとって、旅の写真は、他には代えられない宝物なのだ。

しかし、である。

旅をしていると、ときに、写真に撮りたくても、撮ることのできない風景に遭遇することがある。

心の動かされたこの風景を、写真に残しておきたいのに、どうしてもそれができない……。

不思議と、そんな風景もまた、心の中には鮮やかに残っていることに気づいたのは、つい最近のことだった。

まるで、撮れなかったことによって、あたかも心の中でシャッターが切られ、その奥に風景がくっきりと定着したかのように。

もしかしたら、写真を撮ることと同じくらい、撮らないこと、撮れないことも、そんなに悪いことではないのかもしれない、と思ったのはそのときだった。

この秋、僕は成田空港から、韓国の釜山へ向かうチェジュ航空の機体に乗り込んだ。

雨の成田を飛び立って、分厚い雲を突っ切ると、窓の向こうには、いつものように青い空が広がるようになる。

関東平野の上空を抜ける頃には雲も少なくなっていき、長野に入ると穏やかな緑の山並みを見下ろすことができた。

そんな日本横断の旅を満喫しながらも、僕はひそかに、楽しみにしていることがひとつあった。

今日こそは、釜山の空港に着陸するとき、窓の外の風景を撮影するぞ、と。

どうしてそんなに意気込んでいたかといえば、それはこんな理由があったからだ。

僕にとって、14年前の夏、人生で初めて降り立った異国の都市こそ、韓国の釜山だった。

日本航空の機体が海を越え、窓の向こうに釜山の街並みが見えてきたときの感激は素晴らしいものだった。

小さな船が浮かぶ広大な干潟、山の斜面に所狭しと連なる高層アパート、当たり前のように車が右側を走る高速道路……。

それは、僕が生まれて初めて見る、本物の異国の風景だった。

旅が始まる期待よりも、不安の方がはるかに大きい中、それでも窓の外に広がる釜山の風景を、夢中で見つめる自分がいた。

とうとう異国へ来てしまったんだな、と震えるような気持ちを胸に抱えながら。

ただ、そのとき、ひとつだけ残念だったことがある。

心震えながら見つめていたその釜山の風景を、写真に撮れなかったことだ。

当時、離着陸時の電子機器の使用がまだ禁止されていた頃で、デジカメしか持っていなかった僕は、それを使うことができなかったのだ。

人生でたった一度しかない、初めて見る異国の風景を、写真に残すことができなかった……。

仕方ないこととはいえ、その残念な思いは、ずっと消えなかった。

今度こそ、釜山の空港に降り立つときの風景を、写真に撮ってみたい。

それはたぶん、14年前の夏にできなかったことの、ささやかなリベンジになるはずだった。

その日は幸運にも、飛び立ってからは天気が良く、眼下には日本の美しい風景が流れていく。

岐阜や福井の山並みを抜け、眩しげに煌めく若狭湾を越え、山陰地方を飛ぶようになると、鳥取砂丘の姿も望むことができた。

さらに、島根の中海や宍道湖に別れを告げると、あとはもう日本海の上空だ。

再び雲が広がってきたけれど、対馬の近くを飛ぶ頃には、またプラチナのような海面が見えてきた。

やがて機体は大きく右に旋回し、いよいよ釜山の金海国際空港への着陸態勢に入った。

さあ、ようやく14年前のリベンジができるんだ……と、かばんからスマホを取り出したときだった。

思いがけない機内アナウンスが流れてきたのは。

「釜山の金海国際空港は、軍民共用空港のため、機内からの写真や動画の撮影はご遠慮ください」

あっ、と思った。

そうだった、韓国には軍用を兼ねた空港が多く、この釜山の空港も、まさにそのひとつだったのだ。

すなわち、14年が経ったいまでも、着陸するときの風景は撮影できない……。

がっかりしているうちにも、窓の向こうには、釜山の街並みが広がってきた。

干潟はだいぶ小さくなり、新たに造成された人工島には、アパートよりもマンションといった方が相応しいような、高層住宅がたくさん建ち並んでいる。

あの14年前の夏と、まったく同じ場所の風景のはずなのに、長い年月の経過を表すかのように、街並みは変わっていた。

あるいは、街の風景を撮影するくらいなら許されるのかもしれなかったけれど、誤解を招いてしまうのも困るので、さすがに撮影ははばかられた。

そして、飛行機はあっという間に、釜山の金海国際空港に着陸した。

結局、14年前のリベンジはできなかったのだ。

韓国へ入国し、到着ロビーへ出ると、意外にもその雰囲気はそれほど変わっていなかった。

ただ、リムジンバスに乗って市街地へ出た14年前とは異なり、当時はまだ完成していなかったライトレールに乗って街へ出ることにした。

高架の上を走る列車の窓から、洛東江と呼ばれる川を越え、釜山の繁華街へと入っていく風景を眺めているうちに、ぼんやりと気づけることがあった。

もしかすると、釜山へ着陸するときの風景は、写真に撮れなくてよかったのかもしれない、と。

もちろん、たとえ今日撮れていたとしても、それは14年前に撮りたかったはずの風景ではない、ということもある。

でも、それだけではない。

14年前の夏、写真に撮ることができなかったからこそ、あの日の釜山の風景は、いまも心の中に鮮やかに残り続けているような気がしたからだ。

考えてみれば、写真になんて残っていないのに、あの夏の日、胸を高鳴らせながら見つめていた釜山の街並みは、まるで小さなスケッチのように、心にはっきりと刻まれている。

どこか物寂しさすら感じた茶色い干潟、見たことがないほど細長くそそり立っていた高層アパート、夕方の渋滞で赤いテールランプが連なっていた高速道路……。

その風景を思い出せば、新しい旅が始まる不安を抱えながらも、きっと素敵な何かに出会えそうな予感も抱いていた、まだ初々しかった頃の旅人としての気持ちさえ、自然と甦ってくる。

たぶん、その記憶は永遠に上書きされることなく、これからも心の奥に大切にしまわれ続けることだろう。

旅の写真と同じくらい、心の中でシャッターを切った旅の風景もまた、大事な宝物なのだから。

ライトレールから地下鉄に乗り換え、予約しているホテルがある西面の駅で降りると、僕はあの夏のように、釜山の街へと駆け出していった。

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