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マカオのカジノで、5万円分の「夢」を見た話

マカオのコロアネ島に、ハクサビーチという黒砂の浜がある。その夕暮れ、僕はビーチ沿いにあるポルトガル料理のレストランで、ひとり夕食をとっていた。

頭から味わえるイワシの塩焼き、ホクホクとした食感の干しダラのコロッケ、酸味と甘味が溶け合うフレーバードワインのサングリア……。

それは僕にとって、かなり豪華な夕食だったが、もちろん理由があった。

この日、有名なホテル・リスボアのカジノで遊んだら、少しだけ勝つことができたのだ。あの『深夜特急』でもおなじみの、サイコロを使った大小。一時、1200香港ドル=約2万4000円を失ったものの、そこから3連続で「小」を当てることに成功し、トータルで300香港ドル=約6000円の勝利で終えることができた。

カジノで儲けたお金なんて、このマカオで使ってしまった方がいい。そう思った僕は、普段なら入りづらいようなレストランで、ゆったり夕食をとることにしたのだった。全部で7000円ほどだから、実質的にはわずか1000円の豪華な夕食ということになる。

どこか懐かしいポルトガル料理とお酒に満足し、レストランのオーナーに別れを告げた僕は、バスに乗ってコロアネ村へ向かった。

夜になり、黄金色の街灯が輝いていたコロアネ村は、かつて訪れたときと変わらない静けさと美しさで満ちていた。ただ、対岸に見える中国の珠海だけは、いつの間にか高層ビルが乱立していた。

そんな寂しいコロアネ村を、ひとり歩いているとき、思いがけない感情が湧き上がってきた。このままマカオを離れてしまうことに、ふと物足りなさを覚えたのだ。もう少しだけ、カジノで遊んでいきたい、という欲望に襲われた。普段、まったくギャンブルをしない僕にしては、とても珍しい感情だった。

落ち着いて考えれば、このまま大人しく帰った方が、美しいマカオの旅として完結することだろう。でも、それでは後悔してしまうような気がした。次にいつマカオへ来ることができるか、わからないのだ。今夜くらいは、自分が心から納得できるまで、遊び尽くしてもいいように思えた。

『深夜特急』の言葉を借りれば、「懸命さなど犬に喰わせろ」という気持ちだったかもしれない。まるで何かに急かされるようにして、マカオの市街地へ戻るバスに乗り込むと、僕はカジノの煌めくネオンを目指した。

入ったのは、古い方のホテル・リスボアではなく、新しい方のグランド・リスボアだった。再び挑戦を始めるのだから、昼とは別のカジノで遊んでみよう、と思ったのだ。

初めて入ったグランド・リスボアのカジノは、ホテル・リスボアよりも広々としていて、どことなく高級感が漂っている。それでも、最も人気があるテーブルはバカラで、大小のテーブルが2番人気というのは、ホテル・リスボアと同じだった。

僕はひとまず、1000香港ドル=約2万円をチップに換えると、それを元手に賭け始めることにした。カジノで遊び始めるときの気分は、いつでも胸が高鳴ってたまらない。もしかしたら、結構な大金を稼ぐことができるかもしれない……。そんな幻想をふっと抱かせてくれるからだ。

この夜、僕にはひとつの作戦があった。昼の勝負のように、大か小かに賭けているだけでは、当たったとしても2倍にしかならない。堅実な賭け方ではあるけれど、それではつまらない気がする。

そこで、3個のサイコロの合計数当てを狙うことにした。たとえば、「1・5・6」なら、合計数は「12」になり、当たれば7倍のチップが返ってくる。簡単に当たるものではないけれど、当たれば大きいのだ。

ひとまず、100香港ドルずつ、合計数に賭けていく。もしも、5回連続、つまり500香港ドル負けてしまったら、そのときは大小当てに切り替える。そして再び500香港ドル取り返したら、また合計数当てを狙っていく……。僕はこの方法で攻めることにした。

なかでも、僕は合計数の「8」を中心に賭けていった。8という数字は、出目のパターンがいくつもあり、比較的出やすいが、当たれば8倍で返ってくる。何回か失敗したとしても、1回当たるだけで一気に負けを取り返せるのだ。そしてこれは、以前マカオのカジノで遊んだときに、勝つことができた賭け方でもあった。

ところがこの夜は、その「8」がなかなか当たらない。8かな……と思って賭けずに見ていると、予想通りに8が出る。そこで、別のテーブルへ移動し、8かな……と思ったタイミングで賭けると、今度は9が出たりする。どういうわけか、賭けずにいると、あっさりと8が出て、思い切って賭けると、それをあざ笑うかのように8は出ないのだ。

1度だけ運良く8を当てることはできたけれど、それ以降は外れ続け、やがて頼みの綱の大小当てにも失敗すると、気づけば1000香港ドルは失っていた。

このまま帰るわけにはいかなかった。財布の中に、もう1000香港ドルが残っていたので、迷うことなくそれをチップに交換した。なんとしても、この1000香港ドルで、負けた1000香港ドルを取り返さなくてはならない。

今度は、作戦を少し変更した。合計数の8だけではなく、9や10、11など、同じように比較的出やすい数字も狙っていく。そして、ここぞというときには、8と9の両方に賭けてみるなど、複数の合計数を狙ってみる。これは、いかにもカジノに精通していそうな客によく見られる賭け方でもあった。

しかし、まるでディーラーは僕の裏を掻いているかのように、一向に当たらない。7と8に賭けてみると、それを知っていたみたいに、6が出てしまう。賭けないと的中し、賭けると外れる。ここで賭けておけばよかった……という気持ちと、ここは賭けなければよかった……という気持ちが連鎖する。

チップが減るのは、今度の方が早かった。最後に乾坤一擲で賭けた「7」を外すと、あっという間に1000香港ドルは消えてしまった。これで2000香港ドル=約4万円を失ったことになる。

たぶん、マカオのカジノに通っている人からすれば、4万円などという金額は、子供の遊び程度のものだろう。でも、僕にとっては、そんなに笑ってもいられない金額だった。仕事で4万円稼ぐことが、どれだけ大変なことか。

カジノのATMから現金を引き出して、もう一勝負しようかと思った。ただ、時計を見ると、なんと深夜3時を過ぎていた。その瞬間、どっと疲れを感じた僕は、泊まっているホテルへ帰ることにした。

目が覚めたのは、朝の9時過ぎだった。カジノでの疲れと悔しさが、体と心にはっきりと残っていた。でも、今日はもう13時のジェットフォイルに乗って、香港へ帰らなくてはならない。4万円も負けてしまったけれど、これ以上カジノで遊ぶことはできない。

そのとき、いや……と思った。まだもう少し、時間はあるではないか。かばんの中には、もしものときのために取っておいた、両替していない1万円札が残っていた。この1万円をチップに換えて、ジェットフォイルに乗る時間まで、カジノで勝負してみよう。未練がましい行為かもしれない。でも、もしかしたら、今度こそ勝つことができるかもしれない……。

僕が向かったのは、昨夜負けたグランド・リスボアではなく、その前に6000円近く勝つことのできたホテル・リスボアだった。やはり僕には、この場末のカジノの方が似合っている気がしたのだ。

最後の1万円は、約500香港ドルのチップになった。今日は原点に返るように、合計数ではなく、シンプルに大小当てを狙うことにした。香港へ帰るタイムリミットは迫っている。ただ、なるべく焦らず、ここは確実に大……あるいは小……が出るだろうというタイミングを狙って賭けていく。

すると、その堅実な賭け方が功を奏したのか、まるで最初の勝利の再現のように、「小」を3連続で当てることに成功した。さらに、たまたま賭けた合計数の「8」も当たり、やがてチップは1600香港ドル=約3万2000円にまで増えた。

気づけば、トータルで900香港ドル=約1万8000円の負けにまで、挽回することができていた。

ふと、ここでやめてもいいのかな、と思った。実質的には負けだけれど、このタイミングなら、どこか気持ち良く帰ることができそうな気がしたからだ。

たぶん、ここが運命の分かれ目だったのだろう。まだ時間に余裕があったこともあり、どうせなら負けた分をすべて取り返してやろう、という欲に僕は抗うことができなかったのだ。

ここからチップを失うのは、まさに一瞬のように思えた。大小当ても外れ、合計数当ても外れ、みるみるうちにチップは減っていった。そして、最後に賭けた「小」があっさりと外れると、手元に残っているのは、わずか80香港ドルのチップだけだった……。

結果として、約2500香港ドル、およそ5万円近い負けで、マカオのカジノでの挑戦は幕を閉じることになった。

もちろん、まったく悔しくない、と言えば嘘になる。ただ、心のどこかで、深く満足できている自分も感じるのだ。なぜなら、自分にとって、中途半端ではなく、とことん欲望のままに遊び尽くすことはできたように思うから。

たぶん、最初に6000円ほど勝っただけで、あるいは最後に3万円近く取り返せただけで、そのまま帰っていたとしたら、その方が後悔していたような気がする。完敗だったけれど、全力を尽くして戦った後の負けのように、どこか清々しい気分だった。

なにより、そのマカオのカジノで、僕は気づくことができたのだ。

どうやら自分には、ギャンブルの才覚なんてなさそうなこと。そして、ときに欲望に従ってみるのもいいけれど、普段の日常では、どこまでも堅実に生きていった方が良さそうなこと……。

あのマカオの地で、マカオでしか見ることのできない、5万円分の「夢」を見た。もう、それだけで十分なのだ。

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手塚 大貴
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