イタリアに住んでいた頃、感じたこと①
私は、西暦1999年~2001年(通貨がリラからユーロに変わった頃)にイタリアのローマに駐在していました。
その時に感じたこと、気づいたことを少しづつ綴っていこうと思います。
当時と今のイタリアでは当然違う面もあるかと思いますが、話半分くらいで気軽にもらえたら嬉しいです。
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外国人観光客が日本に来て驚くことのひとつに「列車の発着時刻の正確さ」があります。
日本の鉄道の正確さは世界一だと思います。
日本では数分電車が遅れただけでホームに謝罪アナウンスが流れますよね。
イタリアでは電車が遅れるのは日常茶飯事。
そしてなぜ遅れたのか、あとどれくらいで着きそうなのか、今後の運行見込みはどうなのか、ほとんど説明がありません。
駅員に訊いても「俺に訊かれてもわかんないよ」と開き直ります。
例の「お手上げポーズ」です。
乗客はあてもなく待つか、別の交通手段を自分で探すか、諦めて家に帰るかしかありません。
列車やバスが遅れるのは日常茶飯事ですから、会社出勤や約束の時間に遅れることもしょっちゅうです。
日本だと「すみませ~ん」「ごめんなさい」「ご迷惑をおかけしました」という感じでしょうが、イタリアでは遅れても「ま、そういうこともあるよね(私が悪いんじゃないからね)」という感じです。
待たせる方も待つ方も、お互いがそういう感覚だ、という点がポイントです。
この感覚があるので列車時刻だけでなく、会社の予定も計画も遅れていきます(国家行事も)。
これがスタンダードなのです。予定通りに行かないのが当たり前。
勤勉で何事もきちっとしたいという人が多い日本。
イタリアに居ると「おいみんな、ちゃんとやろうよ」と言いたくなる日本人も多いのではないでしょうか。
逆の視点から見ると、長年イタリアに住んでいた日本人が帰国して感じることは「なんか窮屈だな~」という感覚です。私も感じました。
日本特有の美徳、協調、統制力などは世界に誇るべき素晴らしい一面ですが、この感覚が行き過ぎると「不寛容」になりかねないように思います。
予定通りにいかないのが当たり前だという世界に身を置くと、開き直るというか、ストレスは減るように思います。
話は少しそれますが、中国の上海在住の知り合いライターさんが言っていた言葉が印象に残っています。
「中国に住んでみて、ほぼ毎日感じる2つの感情があります。1つは『何かと信用ならないな。。。』ということ、もうひとつは『ま、いっか!』ということです。」
私はイタリアも似ていると思います。
不便や不具合、腹立ちを「ま、いっか」と笑い飛ばせる強さ、寛容さ、諦めの潔さは、海外に住む上で大事な資質かもしれません。
イタリアで私が感じたことは「日本のありがたみ」だと言いました。
他方、日本の常識が世界の常識ではない、ということも教わりました。
時間のざっくりとした掴み方、世の中は完璧ではないということ、民族や思考の多様性、それらを生活の中で教えてもらいました。
イタリア人は自分に正直な人が多いように思います。
周りに合わせるよりも自分はどう思う、どうしたいかを重視し、それをはっきり主張する。
人の顔色を窺う、空気を読む、奥ゆかしい、そんな言葉はイタリア語にはないんじゃないでしょうか(あったとしても使わないか)。
彼らはとても人間臭くてピュアです。他方、厚かましい、デリカシーがない、そんな印象を抱きますが、私から見れば少し羨ましい気もします。
「生きていく」とはどういうことなのか
「しあわせ」とは何なのか
「自分にとって一番大切なもの」は何なのか
そんなことを考える問いをもらったように思います。
2024年5月9日
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