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死の伝染病
(表紙画像はエリス島(Ellis Island)にある博物館に展示されていた写真)
Ellis Islandに行くには、マンハッタン最南端のバッテリーパークにある自由の女神へ行くフェリーに乗る。リバティー島の次の島がエリス島だ。この博物館には第2次大戦時に入国管理局があった。12,000,000万人もの移民が押し寄せた。その中に日本人も多数いた。その荷物なども残されている。
上の画像は、戦時中米国籍を持った日本人が敵国人とみなされて収容施設に入れられたが、その長屋のようなものだ。
まえがき
先週(1月31日)私は「ホロコースト(ダニエル少年の話)」を記事として公開した。この記事の書き出しに、今年が「アウシュヴィッツ収容所解放80年記念」の都市に当たることを知った、と書いた。それでこの「ダニエル少年の話」をかっくことにしたのだった。1月28日がその記念日だ。
私はそれを書きながら、今日のタイトルを記事にしたい気持ちを持っていた。それは記事に書いているように、教師としての現役時代に生徒から教えてもらった『夜と霧』という書物を、その時に読んで心の奥深くに刻まれた自分の心の動きを表現したいと思っていたのだ。
私は今こそその時だと思ったというわけだ。
私としたことが、とても残念なことがある。『ダニエル少年の物語』も『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』も既に手元にはない。度重なる引っ越しの際に私は90%以上の書物を処分してしまったのである。
その本の写真をと思って探し回ったのだが見つからない。
引用部分は手元に書き写していたものが残っていたので使わせていただいた。
「夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録」
私が紹介したい本には、V.E.フランクル著の『と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』(みすず書房)もある。この書物も生徒から紹介された数多くの本のうちの1冊である。
人間が死に直面した時に取るべき進路を暗示させてくれる読み物である。
ナチ収容所を転々とした心理学者の目から書かれた名作と言える。私が紹介する名作は、私個人の好みによるものであるから、意見を異にする人々がいるかもしれない。
ナチ収容所の中はどの書物を読んでも、汚泥と汚物と人間との共存の姿である。それは極限状態での絶望と希望の選択に関わる姿である。人間の最も醜い姿が極端に表れる場所でもあり、人間の最も美しい姿が醜い肉体を覆い尽くすほどの力を表す場所でもある。
刻一刻、収容所の中で死が行進をする。死の影は着実に収容所の中を覆い尽くしていく。まるで「モーセの十戒」という映画の中で、エジプト人の長子に死の影が忍び寄り、死の叫びが国中に聞かれたのと同じような印象を読者に与える。映画では死の手を視覚で捉えることが出来るように描写しているが、「夜と霧」では胸に突き刺さるような痛みで確認できる。
収容所に囚われている心理学者は、死んでいく人たちに襲い掛かる死の影の実態を見極めようとする。そして未来に対する希望や展望を失うことが人を死に追いやるのだと確信する。 (「 」内は『夜と霧』からの引用部分)
「一つの未来を、彼自身の未来を信じることのできなかった人間は収容所で滅亡していった。未來を失うと共に彼はそのよりどころを失い、内的に崩壊し身体的にも心理的にも転落したのであった。このことは一種の危機の形でしばしばかなり急激に起きることもあった。(中略)われわれ各自はこの危険が初めて現れる時をー(中略)―恐れるのであった。通常これは次のような形で始まった。その当の囚人はある日バラックに寝たままで横たわり、(中略)動こうとはしなくなるのである。何をしても彼には役立たない。何者も彼を脅かすことはできない=懇願しても威嚇しても殴打しても=すべては無駄である。(中略)彼自身の糞尿にまみれて彼はそこに横たわり、もはや何ものも彼を煩わすことはないのである。
「このやがて死んでしまう自己放棄及び崩壊と、他方未来体験の喪失との間にどんなに本質的な連関が存するかが、私の目の前で一度劇的に演じられたことがあった」(『夜と霧』177頁~178頁)
上記の文は「八、絶望との闘い」からの抜粋である。その後、2つの実話がこの文に命を与える。
ある年の2月に夢を見た囚人の話が書かれている。夢の中である声が、何でも望んで良いと語ったという。そこで彼は自分にとって戦争がいつ終わるかを教えてくれるように言う。彼が収容所から解放される時を問うたのだ。すると夢の中の声が彼に応える。「5月30日」。
その人はその夢は正夢であると信じて希望に満たされる。元気にその夢の実現の日を待ち焦がれるのだ。3月がさり4月が相も変らぬ死の姿を見せながら過ぎて行く。
いよいよ希望の5月だ。ところがその5月に入っても一向に情勢が好転しない。夢見る者の心の中に不安が芽生えてくる。不安は失望の源流だ。最初はチョロチョロと流れ始める不安のせせらぎは、そのうち水量を増していく。気が付いた時には失望の大河となって全ての希望を押し流してしまう。
夢見る者は希望の象徴である日の前日(5月29日)に突然高熱を出して発病する。翌日には彼の意識はなくなる。夢の実現がかなわぬことを確認する形で5月31日に息を引き取ることになる。希望のかけらも残さずに・・・。
さらにもう一つの伝染病が流行の兆しを見せる。1944年のクリスマスには連合軍が自分たちを解放してくれるはずだという幻想によるものだ。
1944年と言えば、私が生まれた記念の年だ。我が家では戦争のために大変な生活を強いられてはいたものの、一人の子供の誕生にささやかな喜びのひと時を送っていたに違いない。その同じころ、ヨーロッパでは悲惨な戦争の歴史が刻々と刻まれていたのだ。
ゲットー(ユダヤ人の強制居住区域)のユダヤ人たちにとって、この幻想だけが彼らを支える麻薬となる。この幻想だけが彼らの命を支える。一日一日と日が過ぎて行く。一日過ぎれば、クリスマスは一日近づく。それは彼らの解放の日が近づくことを意味する。どんな苦しみをも乗り越えさせてくれるほどの期待の日だ。
そして、クリスマスが訪れる。しかし彼らにはサンタクロースは来ない。何のプレゼントも手にすることはない。彼らが手にするのは、いつもと変わらない死の情報だ。見知らぬ人の死。となりのベッドに寝ていた人の死。知人の死。親戚の死。家族の死。恋人の死。そして・・・・・自分の死。
その結果、1944年のクリスマスから1945年の新年にかけて、ゲットーでの死亡者の数が急増する。幻想が幻想で終わった時の結末は厳しい。希望が失望に終わることの恐ろしい側面だ。
「何の生活目標をももはや眼前に見ず、何の生活内容も持たず、その生活において何の目的も認めない人は哀れである。彼の存在の意味は彼から消えてしまうのである。そして同時に頑張り通す何らの意義もなくなってしまうのである。このようにして全く拠(よ)り所を失った人々はやがて仆(たお)れて行くのである。」(『夜と霧』182頁)
私たちが希望を自分に置くとき、その希望は見事に欺(あざむ)かれることがある。欺かれた希望ほど私たちに深い失望を、立ち直ることのできない絶望をもたらすものはない。
『夜と霧』に出てくる多くの人々は、絶望にさいなまれながら死んでいった。
「解放され、家に帰った人々のすべてこれらの体験は、《かくも悩んだ後には、この世界の何ものも・・・神以外には・・・恐れる必要はない》という貴重な感慨によって仕上げられるのである」(同 205頁)
私の心の中に思い浮かんだ聖書の個所がある。それを最後に記してみたい。
死のとげは罪であり、罪の力は律法です。わたしたちの主イエス・キ リストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。
コリントの信徒への手紙 15:56~58