留学ってきつい、楽しい その1
文字数:4184字
この記事を一部書き換え誤字脱字を訂正しました(2022.5.31)
「ワクワク~」に合わせて、「筆者」を「わたし」に変更始めます。 2022.6.29 15:37
なんとあっという間に訂正作業終了! 間違いもいくつか発見後訂正! 2022.6.29 15:57
1970年6月
初めての飛行機体験
初めてのロサンジェルス滞在
初めてのサンフランシスコ滞在
初めての留学体験
初めての大金消費
初めてのフライト費用40万円
当時のわたしの一年分の給料
(但し、ボーナスを除く)
1970年8月(ミシガンからの帰途)
初めてのフライト予定変更
航空会社のストライキのせいだ
デトロイトからシアトルまで
離陸着陸の繰り返し
ストライキのせいだ
初めてのスーツケース紛失体験
初めてのシアトル滞在
初めてのアメリカでの
アパート暮らし
数日の滞在中
アパートオーナーの奥様が
部屋に食事を届けてくれた
妹の知り合いだったおかげ
ミシガン大学に着いたのは
授業が始まる2日前
サンフランシスコから
デトロイトへのフライト
隣の座席には父子がいた
デトロイト到着のアナウンス
いよいよだ
全身を走る緊張感
携帯があるわけでもなく
インターネットがあるわけでもなく
前もって道を調べることも叶わず
あるのは不安だけ・・・
空港からバスで大学まで行く
分かっているのはそれだけ
降りるバス停の名前も分からない
いや、分かってはいた
その名前はAnnArbor
というより
空港から乗るバス停すら分からなかった
ミシガンユニオン(Michigan Union)
ウロウロと空港内を
バス停を求めて探し回った
そんな時に現れた救世主
日本人がいたのだ
教えてもらったバス停の場所
無事に乗ることができた
もう薄暗くて
車窓からは暗闇だけが目に入る
2時間もかかるなど
あらかじめ分かっているわけではない
だんだんじれてきた
そして思い切ってバスを降りた
降り立つとそこは林の中
林の中は真っ暗
スーツケースと不安を抱え
バスを見送った
バスが動き出す
バスが行ってしまうと
目に入ってきた明かり
大きな建物が目に入った
なんだかほっとした気持ち
とりあえず建物の中へ入る
受付らしき窓口
若いお兄さんが笑顔
「泊まるところを探しているのですが」
「君は運がいい
ここがホテルだから」
心の中がぱっと明るくなる
「ミシガン大学に行きたい」
「大学の寮は近いか」
「そもそも大学はどこ?」
一気に不安に思っている気持ちが
口から噴き出る
「君は運がいい
ここがミシガン大学さ
ここの近くに寮があるんだ
手続きをするのも明朝でOK」
2か月の短期留学
終わる頃には
上の写真のように
いかにも勉強している様子
子供の写真
子供へのお土産を飾っている
いまでもわたしの本棚を飾る
結局自分への土産に変身
授業はどんどん進んでいった
宿題は毎回出された
一日5時間5教科だ
週末は宿題に追われ
図書館に入り浸る
時にはバスを連ねての
体験見学会
博物館や美術館
授業がなくて浮かれてはいけない
何も言わないが
次の授業で
その感想文を書く
だから、見学しながら
メモ作成は欠かせない
夜の図書館からの帰りは怖い
怖い気がするだけなのか
図書館から寮までの距離
人がいてぎょっとする
何のことはない
セキュリティのための警官だ
「ハイ」と
挨拶してくれる
ほっとさせてくれる
教師たちのそれぞれ
若い男性の先生
てれんぱれん
遅れて教室に入ってくる
でもハンサム(今ならイケメン)
だから我慢した
テレンパレンな割には
この先生が週末を
安心させてくれない
ぼーっと過ごしていると
ひどい目に合う
例の感想文を書かす人だ
おかげで鍛えられた
彼の目的は
英文の書き方を教えてくれるのだ
女の先生もいた
太い脚をものともせず
さらけ出して教卓に座る
当時は超ミニスカートの時代
ツイッギーという
細い女性が日本に舞い降りた
教卓のその女性教師に対して
我々は目のやり場に困る
この先生は
毎時間予習テストをした
毎日授業の終わりに
翌日の宿題を提示した
ワープロもない時代
さすがにタイプライターはあったが
彼女は手書きだ
図書館で
その宿題の手書き文章の解読に
凄まじい時間を費やした
クラスメイトの一人が
彼女は勉強になると言う
「大学に入ったら
きっとこの解読作業が役に立つはず」
クラスのほとんどが日本人
彼らのほとんどが
次のステップは留学
おかげで刺激を受けた
自分はミシガンでの短期留学が
まずは目的だったからだ
もう一人の女性教師
勉強好きだと分かる仕草
この先生は多くの示唆を与えてくれた
おかげでわたしの教師生活に
アイディアをたくさん起こしてくれた
速読の仕方
発音の重要性
数字に対する対応力
リスニングの大切さ
教材の提示
今でも持っているその時の教材
高校生にも
大学生にも
速読を身につける
役立つ授業に使用してきた
わたしの授業に
厚みを与えてくれた
その先生の下宿先に
クラスみんなで押しかけた
全員と言っても10人
本だらけ
階段にも本
廊下にも本
とても明るい彼女が
コーヒーを出してくれた
楽しかったおしゃべり
おしゃべりにもたくさんのヒント
だから楽しかったのだろう
キャンパスライフ
本当は毎日の歩みが
キャンパスライフそのものだ
例えば、
アメリカで初めて味わった
コカ・コーラ
名前は忘れたが
日本では見たこともない
清涼飲料水の数々
ペッパーなんたらなど
これらがカフェテリアでは
飲み放題
しかし食事時間が終わると
コックが閉められる
ところが・・・
アメリカはおうようだ
コックを閉め忘れることがある
授業に行く時の
近道の一つが
カフェテリアの中だ
一度通りすがりに
コックを押してみた
コーラが出現
それからは楽しみとなった通路
紙コップを手に
通りすがる
何度夏の暑さを凌いだことか
格別おいしい味がした
事件だっ!
この事件については「ワクワク ホームステイこぼれ話 2」<2022.11.26 公開>で扱っている。文章が違うだけだ。視点も違うかもしれない)
そのカフェテリアで事件発生!
友だちというほどでもなかったが
隣のテーブルの日本人が
あたふたウロウロしていた
顔は蒼白
目はうつろ
どうしたのかと聞いてみると
財布を盗まれたという
荷物をテーブルに残したまま
トイレに行ってきたというのだ
戻ってきたら
財布を抜き取られていたのだ
しかも
旅行小切手(TC)は残して・・・
アメリカでしてはならない第一は
自分の持ち物は
放してはならないということだ
TCだけでも残って良かった
近くの湖まで
短期留学生全員で
バスを貸し切って
泳ぎに行ったこともある
やはりバスを連ねて
Henry Ford Museum訪問も
当時なので
見たこともないFord車の数々に
ため息が出たことを覚えている
Michigan 大学の
Art Fairの見学にも
英語作文のエッセイのことを
頭のど真ん中に置きながら
クラスで一緒に見物
いろいろと感想を言い合いながら
題材探しに
いま一つ楽しめなかった
Art Fairについては
次のコーナーで
たっぷり写真で
楽しんでいただこう
と言っても
テロ(9.11)の翌年の
2002年に32年ぶりの訪問の日だ
たまたまその日がArt Fairだったのだ
どうりでホテルの予約ができなかったわけだ
Art Fair 2002
当時はまだホテルの予約は
手紙で行っていた
1980年代から
予約ははがきを使っていた
ワープロを使いだしたばかりの頃だ
予約の書式を作っておいて
日付や人数等の部分は空白
その時になって穴埋め作業
最低でも往復1か月を見込んで
行っていた
返信が届いてから
飛行機などを予約するのだ
それなりにワクワクする時間が
楽しめるというものだ
2002年の予約は
ホテルが取れないので
キャンパスから遠い
郊外のホテルを探し当てた
デトロイト空港からは
タクシーだ
キャンパスへも
タクシーを使った
嬉しかったのは
キャンパスに行く時に
見慣れた教会や住宅や森
それらを30年ぶりに
車窓から見ることができたことだ
キャンパスのホテルが取れなくて
良かったと思えた
タクシーを降りると
そこはまさしくMichigan Union前
初めてきた1970年に
暗くなって不安なまま
バスを降りた場所だ
1970年当時よりも
発展したArt Fairの真っただ中だ
気持ちが高ぶった
手ぶらだったからだ
荷物はホテルに置いたままだったのだろう
2泊したのかもしれない
Michigan Unionの前には
たくさんの出店が出店
街の人々が行き交う
このArt Fairは
地元のAnn Arbar市のものだ
その中心となっているのが
ミシガン大学とも言える
だからキャンパスのそこここで
出店が肩を寄せ合う
日本の学校に照らしてみれば
高校や大学の文化祭のようなものだ
市あげて参加しているのが分かる
いくつかの画像を並べてみよう
そこには市民たちが
この祭りを楽しんでいる様が
映し出されている
音楽でのパフォーマンスが多い
聴いていて楽しい
楽の音に合わせて
踊る人たちもいる
そんな場所では
わたしは芝生に座り込む
美術館前の演奏に合わせて
自由な気持ちで踊るのだ
見ているだけで
心が潤う
2002年の大学再訪は
わたしに深い感慨を与えてくれた
32年前に過ごした寮にも再会
違っていたのは電子キーの設置
入ってみたかったのに
入ることができなかった
1981年に再会したFoster一家
その場所はテキサス州
でも初めて会ったのは
このミシガン大学近くだ
彼の家でのアイスクリームパーティー
バカでかい器に
山と積まれたアイスクリーム
この冬休みは気分一新させてくれた
緊張と不安と勉強漬けの日々から
逃れるにはうってつけの2週間
このFoster一家との再会
彼らに同行してのヒューストン行き
ヒューストンでの
全然知らない医者の家族
この件については
「ワクワク ホームステイこぼれ話 3 飛び入り参加」で述べることにしている
ということで、
University of Michiganとも
お別れとしよう
本当はもっともっと書くことがあるのに
他の都市のことも
早く書きたくて
実は・・・うずうずしているのだ
もしかしたら
写真が残っていないからかもしれない