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大学生になる、ということ

 道草食いまくって、ある程度草の味見分けることが出来るようになったんだけど…(笑) みたいな。私の大学生像は、そういうものだったりします。

 大学生になって、四年目の年が終わろうとしている。けど訳あって来年度も在籍予定です…😳ということで、四年も大学生やっていた身からして、大学生になる意味を改めて書いていきたいですね。大学生になりたい人も、これから大学生になる人も、今大学生の人も、かつて大学生だった人も、何か参考になれば嬉しいのですけど。さぁ!書いていくッ!

この学部を選んだ理由は何?

 かつて高校生だった私が大学を見ていた視点は、「なんとなく有名」「外国語」「グローバル」「国際」というものでした。いつの間にか入り込んでいたその価値観を疑うこともなくテキトーに大学を見ていた、となんとも浅はかなもので…
 私が今いる学部を選んだ理由。さて、建前だらけ(必要だから文化として根付いていると思いますが)の社会から、少し距離を置いてみましょう。つまり、本音で書くということですが、今の学部を選んだ理由としては、

「あー静かそーーー( ^)o(^ )」です。

   あと受かってたからです。受かるまではそこそこ苦労しましたし、支えてくれた環境に感謝もしているのですけど、最終決定理由はつまり、「なんとなくここが良い」でした。論理的な理由なんて、これっぽちも無い。これが私の大学受験の終着点。

迷う、迷う、悩む

 私は、(少し主語を大きくすれば)私たちは、いわゆるコロナ世代といわれることになるのでしょうか。入学した一年間はコロナ前で(奇跡的に)通学し、講義も、サークルも、部活も、おそらく飲み会も「オフライン」で行われていた時代でした。「オンライン」という概念は、まだまだ遠いものというのが不思議なくらい、時代の分水嶺に居た気がします。まさか一年後、家でお籠りばかりしているなんて…

    そして危機は訪れます。2020年、大学二年生の年は、変化ばかりでした。コロナ禍の例は、特殊かもしれません。ただ、迷って迷って悩みまくるのは、どの大学生でもいずれにしても辿る道だと思います。私は悩ました。悩み過ぎました。悩み過ぎて、真理を見出そうとしました(?)。はい、意味わかりません。

    ニーチェやデカルトや、カントみたいな哲学書に手を出しては、そこに答えがあるような気がして本を読みあさっていた、それが2020年でした(いつかこの記事を見返したときに笑い話にしたい)。
 なんで人は死ぬの?なんで人は苦しむの?なんで幸せを感じるの?どうして社会には不平等があるの? 考えだしたらきりのないこと、そうやってうずまくっているのも、今振り返れば必要な段階だったんじゃないかと思います。答えをすばやく出すことが求められる現代社会で、簡単には答えが出ないことに取り組む試みは、ひどく苦しいものでしたけど、自分の未熟さを痛感できるいい習慣と思います。悩んでいいんですよ。学生なら(社会人だって)。その過程で積み重ねたものは、思い出に終わるとしても、きっと良いものだと、そう勝手に信じてます…!

価値の遠近法

 今でも時々調べてしまうことありますが、「大学生のうちにすべきこと」というものを一度は気にしたことがある人もいるのではないでしょうか?「したいことしようぜ」「挑戦しなきゃだめ」「遊びまくれ」「だらだらするのもいいよぉ」「ま、ほどほどに頑張ろうぜ」「新しいことしたほうがいいいよ」。色々です。
 ところで私は、こう思います。参考にするのは、鷲田清一という方の「価値の遠近法」。

 
本来、大学で学ぶということは、全体を見渡し、何が一番大事なのかという「価値の遠近法」を身につけることだったはずでないのか。それは平たくいえば、さまざまな事態に直面した際に、絶対に失ってはならないものと、あればいいというものと、端的になくていいものと、絶対にあってはならないものという四つを、即座に見分けられる力をつけるということである。(鷲田清一、2013、275)

鷲田清一、2013、「パラレルな知性」、晶文社。

 大学生になる意味、というか大学生が得られる可能性が高いものは「価値の遠近法」というものではないのでしょうか。色々な経験をしろと(学生に限りませんが)、言われるのは、この「価値の遠近法」を身に着けるためだと私は思ったりします。というかそう思うようになりました。頑張るのも、悲しむのも、修羅場に巻き込まれるのも、ダラダラするのも、一生懸命に楽しむのも、全部全部大事なんです。色々な視点から物事を見、いろんな感情に駆られることで、自分にとって何が大事かを覚えていく。①絶対に失ってはならないもの、②あればいいというもの、③端的になくていいもの、④絶対にあってはならないもの、これらを即座に判断できるのって、なんか強くね?って思います…!これらが判断できることは、それなりの軸が自分の中に出来ていることと同値?というか、ほぼほぼ同じだと思うので。
 かくいう私は、まだまだ出来ておりません….さすが先人のいうことです。そう簡単に達成できることではありません…(笑)

結局、「価値感は色々」?

 色々な人間に出会う。色々な本を紐解く。まぁ色々やっていると、価値観はほんとうに一様でないと痛感します。でもふと大学生こう思いました。あ、違う。「価値観は色々」じゃない。

「色々なのが価値観」なんだ。

 正直ですよ。正直、言えば伝わると思ってました。自分が理解されると思ってました。人間は以心伝心だと思っていました。見たらわかんだろって考えてました。でも違いました。違うんですよ。全然違う。この社会がどう成り立っているのか、知っていますか。それは「人間は理解し合えない」という共通理解だと思います。私たち一人一人違います。肯定的な意味だけではないです。違うからこそ、理解できないですよ。理解し合うのが難しいですよ。だから法律や、政治や、そもそもルールなんてものがある。いちいち確認しあってたら面倒くさいから、「理解する」という過程をある程度省くためのシステムがある。それが「社会」なんだと思います。
 だから、伝えようとすること。言い直すこと。コミュニケーションを断絶させないこと。紡ぐこと。ルールを作る事。相談すること。こんなことを大切にするようにしました。理解できないのは悪いことじゃないんですよね。だってそれが(少なくとも今の私にとって)デフォルト、普通ですから。出発点はいつだって「理解してない」状態からです。告白して終わりじゃないです。告白して、そこからが本番です。いきなり恋愛の話ですいません。
 本を読むのだって似ています。分からないから、知らないから読むんですよ。その過程が、つらいかもしれないけど、楽しい時もあると思います。

大学生になる

 正解なんて、ありませんでした。教授も、研究に終わりは無いと言っていました。政治形態に正解はないと知りました。さて、ポイントをまとめるとするなら、①正解が無いと知る事、②迷っていいと知る事、③多様なものが価値観であることを知ること、最後に④相手を尊重することが大事であること、です。そうやって、「価値の遠近法」を身に着けられたならば、私は大学生になってよかったなぁと思います。難しいですけどね…(笑)

ここまで読んでくれた人、ありがとうございました。佐藤さんありがとう。全国で一番多い苗字だから、なんとなくです。その他の苗字の人もありがとうございます。

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