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りんご畑がソーラーパネルに埋め尽くされる前に 〜「最強の新規就農システム」を設計した最強の農家の話〜

中平義則(なかだいらよしのり)さん

りんご畑に生まれる。
りんご農家の長男として、平成10年に実家のなかひら農場に就農。

ビジネスの才覚をめきめきと示し、閑散とした父のりんご農園に年間700台の観光バスを呼び込む。同じ品種ばかり育てるりんご農家の姿に疑問を抱き、独自品種を作ろうと決意。霜降りステーキから着想をえて、りんご全体に蜜が霜降り状に入った品種“なっぷる”を開発。特許取得後、誰でも作れるように栽培をオープンにしてしまう。

今回は、挑戦を続ける「最強の農家」が、後継者不足に悩まされる果樹産業を盛り上げるために、2017年7月に立ち上げた新事業【南信州りんご大学院】を特集します。

※2017年の取材当時の情報です。最新の情報はお問い合わせください。

最強の農家になる

写真:ツツハナバチ

— 中平さん、子ども時代はどのように過ごしていましたか?

基本的に山で遊びましたね。やっていたのは、ハチ追い。どんなハチを追ってたかってね……クロスズメバチですよ。長野にはハチの子を食べる文化がありますけど、おれはハチを採るのが好きな子どもでした。

— スズメバチって……危なくないですか?

ええ、それは刺されますよ。でもね、ハチを1kmくらい追いかけて“そこにいたか”と突き止める。その瞬間、アドレナリンが“ぶわっ”と出る。あれがたまらなかったんですよ……。

—(笑)

そんな小学生時代から将来の夢は決まっていました。「最強の農家になる」と。たとえるなら、『北斗の拳』のラオウみたいなね(笑)。ええ、いまも変わらないおれの夢ですよ。

「最強の農家」を目指す以上は、ありとあらゆることをする。今日お話しする「南信州りんご大学院」はその取り組みのひとつです。

はっきり言って、こんなことやっても一銭の得にもなりません。おれが数十年かけて考えた技術をタダで持っていっちゃうわけですから。でもね、「最強」である以上、日本の果樹産業を支える使命を持たざるを得ないんですよ(笑)。

南信州りんご大学院

農家が減っている、と聞きませんか。ここ長野県の松川町は、りんごの大産地で観光りんご園で儲かっている土地です。でもね、この町ですら、10年以内に60%の農家が辞める、という衝撃的な調査結果がでました。

そこで、町の緊急会議に召集されたわけですが、「農業をやめて、畑をソーラーパネルに変えよう」という話になりました。おれは、それがさみしかったんですよ。

ソーラーパネルじゃない道を選ぶなら、作り手を育てるしかない。作り手を育てる国の制度としては、U・Iターン者を地域に受け入れる“里親制度”がありますが、「2年」で完全独立させなければいけない。おれに言わせると、2年で独立して黒字経営ができる人は、農家を目指さなくても、東京で起業して成功できますよ。

そこで、自分自身の経験も踏まえ、里親制度の問題点をすべてクリアした、りんご農家育成学校を作ろうと思いました。

それが、2017年7月からスタートした、『南信州りんご大学院』です。

まず、「売り先」の問題。農作物は、作るよりも売る方が難しいです。ぶっちゃけ、素人でも2年間技術サポートを受ければ、ある程度の品質のりんごなら年間50トンは作れます。でも、考えてみてください。50トン、どう売り切ります?納得する値段で買ってくれる人をどうやって見つけます……?

この打開策として、うちでは、地域への溶け込み方を重視しています。地元のグループに入って、地域の飲み会や町内会に顔を出して、仲良くなって、独立後はお隣に相談できるようになってもらう。

就農希望者には、頭でっかちも多い。たとえば、無農薬でやろうとして地域から浮いちゃう、一匹狼になっちゃう、みたいなケースはよくあります。上に上に葉を広げようとするのではなく、まずは地域にしっかり入って根を張る必要があります。地域に根をはるとどんな良いことがあるか。「一緒にりんご売らねえか」と地域の人が誘ってくるんですね。

さて次に、「独立資金」の問題。里親制度ってね、月5万円ほどを里親に払います。つまり、独立資金を切り崩さなきゃいけない。2年間の生活費やアパート代も重なると、結構きついですよね。そこで、おれが考えたシステムとしては、うちの社員になってもらう方法です。そうすれば、技術を学びながら給料をもらって蓄えられる。これは、年間700台の観光バスの収入で、1年を通じて常勤のスタッフを雇える経済的基盤があるからこそできる方法です。

いま雇っている一人は正社員で、もう一人はパートです。最初は二人とも「正社員(=りんご大学院の大学院生)」だったんですけど、一人は畑を借りたので、自分の畑が暇なときだけパートに来ます。

いつまでも「大学院生」なのは、出来の悪い人です。能力のある人は早い段階でパートになって、アルバイトになって、クビになってくと。りんご大学院の卒業は、「クビ」になった時なんですよ。これなら、みなさん安心ですよね。

最後に、「農地」の問題。うちで働くと、条件の悪い畑への対応能力がつきます。

他の里親に入ると、完成された畑で研修を受けます。でもね、いざ就農する時には、草ボーボーの林みたいな畑に当たっちゃうのはよくある話です。一方うちは、もともと1haだった畑を8.5倍まで拡げていて、さらに拡大しようとしています。この中には、完成された畑もあれば、2年目の畑もあれば、更地もあります。バリエーション豊富ですから、ソーラーパネルにするような林を、どうりんご畑に変えていくのかも学べます。

りんご農家の特殊能力

—中平さんは、一銭の得にもならないのに、なぜこのような挑戦をするのですか?

自分の世代だけで考えてないからですね。数十年、数百年のスパンで考えて、果樹産業にとって、いま、これが最善の策だと信じてるからです。

—なぜ、子どもや、孫の世代まで考えるのですか。

それは、おれが「果樹農家」だからです。

りんご農家ってね、時間のとらえ方に特殊能力を持っています。

たとえば、野菜や米の1年サイクルと違って、りんごの木は1年じゃ完成しません。苗から完成形まで最短で50年はかかる。1世代で1回完成できるかできないかということです。

これは、果樹産業のいいところで、自分が完成しなくても子どもにつながります。実際、おれは親父から「ここまで作ったけど、ここから先はお前が作れ」と引き継ぎました。今度はおれが完成寸前までいったとして、「あとはお前が続きをやっていけよ」と子どもに引き継ぐこともできるわけです。

このように、果樹産業には、個人の人生を超えた、より大きな時間のとらえ方があります。親父も、おれも、息子も、お世話になってるこの町も、ぜんぶ根っこで繋がっている。ですから、たとえ金にならなくても、いま、おれがやるべきことはきっちりとやります。

りんごの木は、親から子へ、子から孫へと、延々と繋がっていきます。現状維持でなく、ちょっとでもいい方向へ。果樹農家とは、その一本の「線」を整備し、その「線」をちょっとでも太くしていくような生き方だと思います。

すべては終着点、「最強の農家」に向かってね。ふふ……すべては計画通りというわけです。

<おわり>

文:森山健太



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