【のり弁ピース・マキオ編】 最終話(全4話)
気がつくとマキオは自然とリズムをとっていた。心の底から楽しくて、ハッピーになる曲。体は揺れ、笑顔になる。実りの季節を迎えた快晴の畑に降り注ぐ天気雨のような、不思議で、嬉しくて、それなのに染みわたる。音楽でこんなにも心を打たれたのは初めての経験かもしれない。「すごい。」のり弁は手つかずで、ビールは2口飲んだだけ。演奏時間の30分はあっという間に過ぎ去った。
彼らのステージは曲の合間のおしゃべりはなく、最後にギターボーカルの女性が今にも泣き出しそうな声でバンドの紹介をしてくれた。バンド名はハッピーベベンだということ。普段は日本人3人で活動していて、今日はスペシャルゲストのBenが来日参加してくれたこと。実は、Benは20年ほど前のバンド創設メンバーだったこと。そこまで話すと彼女の声は嗚咽が混じり聞き取れなくなった。
彼女が泣き崩れそうになるのをBenが咄嗟に支え、手を突き上げた。「peace!!」彼がそう叫ぶと、ベースとドラムの男性が「ウィーアー!ハッピーベベン!!」と締めくくった。みんな、涙がまじったくちゃくちゃの笑顔だった。なぜ彼らが泣いているのか、マキオにはわからない。でも、感じた。彼らの魂を。息をするのを忘れるほど楽しくてピースフルで笑顔あふれる世界を。
人は強烈な出来事を経験した直後は一種の放心状態に落ち入る。ステージ上は次のアーティストがガサゴソと準備を始めているようだ。しかし、マキオは目の前の現象を認識できない。それほどまでに鮮烈な演奏に、マキオの脳は溶けてしまったのだろうか。マキオは、ぼーっとしながら少し冷えたのり弁の白身魚フライをかじった。「サクッ。」瞬間、甘みが口いっぱいに広がり、脳が飛び起きた。唾液がほとばしる。美味い、美味い、ビールも美味い。揚げ物は正義。
マキオは彼らのことがもっと知りたくなった。聴きたくなった。ポッケからスマホを引っ張り出すと、SNSのXでハッピーべベンを検索し、フォローした。白身魚フライとビールを交互に喰みながらタイムラインを眺めていると「あれ?今、この会場からハッピーべべンのことを呟いてる人がいる。アカウント名は『みかん寿司』さん…、”久しぶりのハピべべライブ最高すぎて涙が止まらない”、か。だよな、ほんと同感、激しく同意。」マキオはどんなアカウントか、ろくに確認もせず、ほろ酔いの勢いでリプライしてしまった。「僕は今日初めて聞いたんですけど、素敵すぎてファンになっちゃいました!あとでCDポチっちゃうかも!」すぐに返事がきた。
「いいですよね!しかも今日は特別にBenさんがいて、いつも以上に超最高!テントいっぱいの中に、ハピべべの販売ブースあったからCDそこに売ってるかもです!」超速の返事に、マキオもすぐさま応じる。「ありがとうございます!食べ終わったら行ってみます!食べながら聴こうと思ったのに、ステージから目が離せなくて…」と、白身魚フライが無くなったのり弁と飲みかけのビールの写真を返信した。気がつくと次のアーティストの演奏が始まっている。心地いいjazzだけど、今はスマホから目が離せない。しばらくすると「のり弁、私も好きなんです(笑)!」というテキストとともにTシャツを着た女性の自撮り写真が表示された。
みかん寿司と思しき女性の、首から下がうつった写真、胸元には「NO RE;BEN」とある。
「NO RE; BEN…?ノー、リ、ベン…? …! のり弁!…え、のり弁?」
NO RE; BENの謎の解明と、女性アカウントだったことにマキオが少し反応に困っていると、彼女から追いリプが来た。「私、1番好きなハピべべの曲がさっきの最後の曲の『No Re; Ben』なんです!で、このTシャツはお気に入りの彼らのグッズなのです(自慢w)!」
周囲を見回してみたが、そのTシャツを着てる女性は見当たらない。「これだけ人が多いんだ、近くにいるはずもないか。」マキオはもう一度スマホを手にすると「No Re; Benおもしろ(笑)!そして本当にいい曲でした!他にもおすすめあったら教えてください!」と送り、みかん寿司さんをフォローした。
マキオはステージをぼんやり眺め、音楽に耳を向ける。そして思い出したようにのり弁を食べ、ビールをすする。チーン。スマホの通知音が鳴る。相変わらずリプが早い。「はい(笑)!でもこれから仕事なんで、終わったらおすすめのyoutubeリンク貼りますね!」マキオはそれにすぐさま返信したが、それ以降彼女からのリプはなかった。
「みかん寿司さん、仕事前に聴きに来るなんて本当のファンなんだな。まだどんな人かはわからないけど、悪い人ではなさそうだ。とりあえずXXX友達ができてよかった。」マキオは残りののり弁を掻き込んで、最後の一口のビールを飲み込んだ。
のり弁の容器ゴミの入ったポリ袋を片手に、マキオは販売ブースが並ぶテント群を歩く。「焼きたてのクッキーいかがですかー!」到着時にフリマだと思ったテント群は地元企業の販売ブースで、どこもたくさんの人で賑わっていた。焼き菓子、ハンドメイドアクセサリー、歯肉植物やサボテン、オーガニックにこだわったペットフードなどなど、見ているだけで楽しい。少し離れたステージからは今も音楽が聞こえる。久しぶりのイベント感に、マキオは改めてテンションが上がる。
探しながら歩いていると、端っこの方に今日出演したアーティストのグッズを扱うショップがあった。マキオのお目当てはもちろんハッピーべべン。ハッピーべベンのコーナーはショップの中でも特にお客さんが多かった。マキオ同様、余韻を忘れられない入門ファンばかりなのだろう。口々に「さっきの最後の曲の入ったCDはありますか?」と店員さんに尋ねている。マキオは優越感に浸る。なにしろそれが『のり弁』、いや『No RE; Ben』という曲だとマキオは知っている。
曲目を見てCDを手に取ると、すぐ横にそのTシャツはあった。彼女の着ていた『NO RE; BEN』Tシャツだ。マキオはふっと笑ってそのTシャツを持ち、お会計に並んだ。
帰りの電車。たった3駅、10分の車内で、マキオは今日のことを思い返していた。なんにも予定がなかった日曜日のはずだった。ただ洗濯をして、スーパーに買い出しをして、彼女が欲しいと嘆くだけの日曜日のはずだった。でも、ポスターに出会った。その出会いのおかげで、青空の下で音楽を聴いて、のり弁を食べて、ビールを飲んで、XXXの友達もできた。いい日だった。ここ数年で最高に楽しい1日だった。マキオはニコッと笑ってあの吊りポスターを見た。
次の日から、また日常が始まった。FC店舗への訪問、直営店での新人研修、新規出店への準備。仕事は充実はしてるものの忙しくて体も気力もけっこうつらい。2週間がすぎた頃、みかん寿司さんから初めてDMが来た。 「今度の日曜日、花加公園のイベントにHappy bebenが来るみたいです!」マキオはあれから毎日CDを聴いている。すぐに「まじで?!ありがとうございます!絶対行きます!」と返した。彼女からの返事は珍しく少し間があった。
チーン。スマホの通知音とともに表示されたのは「よかったら一緒に行きませんか?」だった。
【のり弁ピース】 〜全4話・完〜
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