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【のり弁ピース・マキオ編】 第3話(全4話)

 マキオは焦っていた。焦ってもしょうがないことは自分自身がいちばんわかっている。晴れた日曜の午前中、澄んだ青空の向こうには富士山が見え、爽やかな風が木々を揺らす。最高の休日だ。なのに、マキオの予定と言えば、たまった洗濯物の処理とスーパーへの買い出しだけ。
 「カノジョ欲しいなあ。」そう言ってベッドに座ってスマホを開くと、カノジョとカレシが繰り広げるキラキラした世界が広がっている。カノジョと映画、カレシとスイーツデート、カノジョとの初めての旅行などなど、マキオには妄想としか思えない世界線がそこにはある。そしてどこまでも続いている。そっと目を閉じ、ため息をつく。ほぼ全開のレースのカーテンがさらさらと音をたてた。その気持ちのいいそよ風に誘われるように、マキオは顔を上げてベランダ越しに外を見た。

 ピーピピピ、ピヨピヨ。

 快晴の広い空を謳歌する小鳥たちのさえずりと、薄暗く狭いワンルームにウヌヌヌヌヌヌヌゥと低く響く洗濯機のうめき声の対比は完膚なきまでに『現実』を突きつける。「神様、キラキラした世界線はどこにあるの?」

 カレシカノジョというのは、欲しがれば欲しがるほど、できない。それは多くの人間が経験で獲得する事実のひとつだ。だからと言って「じゃあいらない」と簡単に割り切れるか?答えはNoだ。健全な28才男子なら誰だって、いや、誰だってではないかもしれないけど、少なくともマキオはラブラブしてキラキラしてムフムフしたい。だってもう7年もカノジョがいない。ガッキー似の可愛いカノジョに「富士山が綺麗だから近くまで行ってみよう!」とドライブに誘う妄想はすでに2億回再生を超え、マキtubeでは不動の伝説となっている。マキオはまたそのマキtubeを脳内再生しガッキーカノジョの甘い声に酔い始めた。「ちょ、運転中に何するんだよぉ〜♡、やめろよムフムフ〜♡」

 ルルル、ルルル。スマホが鳴る。マキオはマキtubeからまるでルーラのように現実に引き戻された。父親からのLINEだった。「いい日本酒をもらったからお盆に飲もう。母さんが、マキオが帰ってくるのを楽しみにしている。」マキオの焦りは再燃した。そう、父親こそが焦りの源なのだ。いや、別に父親が結婚しろとか、なにかガミガミ言ってくるわけではない。むしろ父親はとても優しい。仲だって平均より良い方だと思う。しかしマキオは父親のある一点が非常に気になっていた。父親は…。

 父親は…髪の毛が薄いのだ。いやいやいや、髪の毛が薄い父親なんて世の中にごまんといる、別に珍しいことではない。マキオだってそんなことはわかっている。だがしかし、だがしかしだ。父親は若かりし頃からわりと薄めなのだ。もしも、それが遺伝したら…。もしも、カノジョができる前に髪の毛がルーラしてしまったら…。一生カノジョなんてできないんじゃないだろうか。そう、マキオは不安性なのだ。「あ〜あ、カノジョほしいなあ、一刻も早く。」


 木々が視界の両側を走って行く。5月。緑が青々しくて眩しい。マキオはこの道が好きだ。くたびれた自転車のカゴがガコガコ文句を言うけれど、大学生の頃から使ってるこの愛車でこの桜並木を走ると、なんだかあの頃に帰った感じがして好きだった。スーパーまで少し遠回りになるけれど、洗濯物も干したし、まだ昼前だし、マキオは青い春を思い出しながら、ゆっくり走った。「何かいいこと、あるかもな。」

 パンパンになったエコバッグの1番上に卵を入れ終わると、目の前のガラスに貼ってあるポスターが目についた。〜『NAC FM JAZZ FESTA』芝生に座ってJazzを聴こう。無料。〜日付は、、、今日だ。ちょうど今頃始まって夕方まで、いろんなアーティストが30分ずつ演奏するらしい。Jazzは正直あまり聞いたことないけど、芝生に座って音楽を聴くって最高じゃん。キッチンカーも来るってことはビールも売ってるかも…、なにより無料!マキオは帰って戦利品を冷蔵庫に入れたあと、すぐに駅に向かった。「何かいいこと、あったらいいな!

 マキオは電車に揺られながら、スーパーで見たポスターを思い出していた。そこにはラジオ局協賛と書いてあった。ラジオは中学生の頃に受験勉強のBGMとして聞いていたけど、こんなフェスの協賛をしているなんてマキオは正直知らなかった。「たまにはラジオを聴くのも意外な情報に出会えて楽しいかもしれないな。」そんなことを考えていると、頭の上の吊りポスターも今日のjazzフェスのものだった。「気づかなかったけど、楽しみを探さなかっただけで、周りを見渡せば楽しいことはたくさんあったのかもしれないな。」マキオがきょろきょろと吊りポスターを眺めていると電車内に目的の駅への到着アナウンスが響いた。

 駅を出て、フェス会場の公園に近づくほどにワイワイと賑わいを感じる。思えば、コロナ禍があけて久しぶりのイベントだ。マキオは沸々とテンションが上がる。「キッチンカー結構きてるな。その向こうはテントがいっぱい…フリマかな?」フリマはあとで行くことにして、マキオは昼めしを調達することにした。なにせもうすぐ13時だ、おなかはペコペコ。マキオは少し悩んでのり弁とビールを買って、芝生に座る。のり弁だけじゃ足りないけど、あとで別のキッチンカーで唐揚げでも買えばいいや。そんなことを考えながら、マキオは足を大の字に広げて空を見上げた。

 空はあいかわらず青々しく青い。そして午前中より濃い。その広い空と鮮やかなグリーンの芝生に挟まれたステージが『ばえる』。今はちょうどアーティストの入れ替わりの時間のようだ。遠くて顔はよくわからないけどMCの女の人がしゃべっている。きれいな声だ。周囲を見渡すと結構お客さんが来ている。遠からず、近すぎず、この距離感がいい感じ。
 小さなレジャーシートを持ってきている人もいる。なるほど、たしかにお尻が少し湿っぽい。芝生がわずかに水分を含んでいるのだ。芝生、おそるべし。マキオは、勉強になりました、次からレジャーシート持参します、と心の中で呟いた。マキオはのり弁をビニール袋から取り出し、そのままそのビニール袋をお尻の下に敷いた。ビニール、湿気、シャットアウト。マキオis天才。自分の機転に1万いいねを脳内で送りながら、のり弁を芝生に置く。その横にはビール。「これ、なんかいいじゃん。」
 食べる前にスマホで写真をパシャリすると、Jazzっぽい音が聞こえてきた。ギターを持った1人は西洋系っぽい男の人。あとの3人は日本人っぽい。ギターの女の人、それとベースとドラムの男の人。バンドはどうやら音?の調整をしているようだ。マキオがビールを一口飲むと、ベースの人が叫んだ。「ウィーアー!ハッピーベベン!!」いきなり演奏が始まった。

No Re; Ben

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