メンタルor死からのフリスビージャンピングキャッチ
「今日はほんま、元気な姿見れただけで、もう良いわ」三が日を過ぎての八坂神社初詣帰りに入った京都南座近くのドトールで、聞き覚えのあるフレーズが耳に刺さった。「今日はほんま、元気な姿見れただけで、もう良いわ」あぁこれ、約2年前のわたしに友達が何度もかけてくれた言葉と同じ。
ここからは、読むつもりの文庫を読んでいるふりで聴覚に全集中。隣に座った女性ふたりの音量は大きいわけではなかったものの、8割は聴き取れる。ふむふむ彼女らは30代同級生、Aはオーケストラ演奏者でBは教職。おしゃべりの端々からコツコツと情報を拾っていく。
〝Aちゃんが2年ほど鬱で、Bちゃんとも連絡が取れなくなっていたところ、少し前に鬱が寛解。現在Aちゃんは無理なき範囲で社会復帰し、久しぶりにBちゃんと会うことになった〟これが、ざっくりとした流れのよう。
Aちゃん「あの時期は全然返事できずにごめんな。ご飯の味せえへんから食べれてなかったし、3日とかお風呂も入れてなかったんよ」
Bちゃん「ええよええよ。大変やったな」
Bちゃん「ていうか婚活始めたんやって?」
Aちゃん「そうなん。でも最近めちゃ太ってしもて、やばいw」
Aちゃん、自虐で笑ってるし婚活までスタートさせている! 良かったなぁ、けど頑張りすぎるとまた悪くなるから慎重にな…と声に出すわけにはいかず念を送る。
会話中に何度もBちゃんが「Aが元気になってとにかく良かった!」と感嘆フレーズをはさむ。鬱明け時に友達が「かよが元気になってとにかく良かった!」わたしに何度も何度も繰り返してくれた言葉が、正月早々、他人の会話をじっくり拝聴しているわたしにリフレイン。鼻の奥がツーンとする。渦中、お湯に触れると虫酸が走り、わたしは1年お風呂に入れていなかった。悪い方に桁違いだった。
そんな桁違いの鬱明け後、2022年になんとなく始めたスケートボードが2年続いている。50の手習いスケボーは週3練習したとて、上達は異様に遅い。オリンピックで印象づいた「手すりの上をなんでもないことのように滑り降りる」などは、メイクする前に死を迎えるだろう。それでも難しさゆえのバリバリの集中で滑っている間、〝ヨガのシャバアーサナ並〟に無になれる点はドーパミン大量放出で、まだまだやりたい。ただ、スケボーは基本単独の遊びなので、コミュニケーションを含む遊びもしたいなと思う時がある。
久しぶりにフリスビーはどうだろう。えーっと最後にフリスビーをやったのは20年前!? 頻繁にフリスビーをやっていたのは27~28年前!! 去年、地方で亡くなってお通夜に行った友達に最後に会ったのは18年前…。50代、年月は飛ぶように過ぎる。どうやら「フリスビー」という名前は実はWham-O社の商標名で、正式名称は「フライングディスク(Flying Disc)」というらしいが、ここはフリスビーのままで良いことにしておく。
Patagoniaのフリスビーを押入れから出してみると、ほぼ劣化なく使えそうである。そういえばエアロビーもやりたい。「エアロビー(AEROBIE)」とは、リング型の薄いフライングディスクで、一般的な円盤型のフリスビーより簡単に遠投できるのだ。エアロビーは見つからず改めて購入した。
20世紀にフリスビーをしていた仲で、21世紀の今も親しいA子に声をかけた。「超久しぶりにフリスビーやりたいんだけど」とLINEすると「いいね!」と返信あり。以前と同じ代々木公園に集合することにした。
風のない小春日和に、代々木公園ど真ん中の芝生の上で約30年ぶりにふたりで向き合う。誘ったわたしも、長すぎるブランクありで自信はないが、まずはエアロビーを投げてみる。初めは斜め上や下、あらぬ方向へ飛ばしてしまったものの、お互いひどい暴投ではない。
30分もしないうちにある程度相手の方向、たまに胸元へ、正確に投げられるようになってきた。自分の投げたディスクが空を切って相手の元へ飛んでいき、そのディスクがキャッチされ、相手の投げたディスクがなめらかに飛んできて、無事にキャッチする。次第に人とフリスビーが一体化するというか、お互いの解放と受容がはっきりと見えているような感覚になる。大切なものは目に見えない、が基本ですけどもね。
フリスビーがもたらす安らぎは心の病の治療に利用されているにちがいないと検索したのだが、該当しそうな記事が見つからない。更年期で特に不足している幸せホルモン・オキシトシンが分泌されている感。フリスビーが動物や赤ちゃんの癒し動画視聴以上にオキシトシン分泌されることを実測で証明したい。
この日は冬の平日昼間だったためか、わたしたちの他にフリスビー遊びをしているのは2組のみ。運動に向かない普段着男女のカップルと、もうひと組は年長さんくらいの男の子とお母さんとが、キャッチは難しそうでお互い投げるだけを繰り返している。そんな芝生広場をつっきってきた長身の白人男性が外れて飛んだわたしたちのエアロビーを拾い、言葉もなく仲間に加わった。少し強引な行動が許されるほど、彼は明らかに上手い。
少し経って彼はおもむろにディバッグから使いこまれた赤いマイ・ディスクを取り出し、彼の意向で遊びはエアロビーからフリスビーへ変更になった。フリスビーはエアロビーより重いため、スローイングには体力を倍使う。我々は強烈なスピードで飛んでくる彼のフリスビーを、突き指の恐怖と共にキャッチする。
1時間を越えて冬なのに汗。わたしは高めに伸びてきた彼の無理めのディスクをジャンピングキャッチし、転倒した。更年期女性のパーカーとニット帽が芝生にまみれる。なんら問題なし。体力消耗でβ-エンドルフィンも追加分泌していたのか、さらに多幸な時間が流れ、白人さんの名前を聞くことも忘れたまま、3人はフリスビーに熱中した。
筋肉痛が残る後日、久しぶりといえばフリスビーの前に歯医者では? と我に返った。高額治療費を前払いしていながら途中放置のインプラント治療を再開するため、1年半ぶりに歯医者へ行くことにする。
「来なくなっちゃったから、メンタルor死んじゃったかと思ってましたよ」と、2大理由は事実らしいが、ドキッとすることを敏腕先生はサバサバ言う。「すみません、元気でした」わたしは歯科のリクライニング椅子に座ったまま頭を下げた。