
主婦が本を出せたワケ
本を出したい。ほんとにそうです。わかります。私もそうですから。
私が本を出したいと思ったのは20歳の時です。
どうしてそう思ったんだろうな。
漠然と作家に憧れたんだと思います。
当時からいろんなコンテストに応募して、いくつかは佳作になったり、掲載してもらったりしましたが、
全然伸びていく気がしない。
今、思えば、何かを書いて人様に読んでいただくほど経験値や知識がなかったんです。
確かにひらがな50音の組み合わせで文章は書けます。
でも大事なのは、書き方と内容だった。
引き出しが空っぽだったんです。
腹の底から溢れ出すパッションで、これを書きたい!伝えたい!
そこまでになれていなかった。
いくら体裁を整えてもいいものは書けない。
そして、たとえば「これを伝えたい!」って思っても、需要がないとダメで。当たり前なんですけどね。自分の自己満足じゃ、認めてもらえなくて当たり前だったんです。
35歳の時、人生に躓いてインターネットの接続を切りました。
数年の間、1人孤独を抱えてWordに日記を書き続けました。
別にこれで出版するぞとか、全く頭になくてただただ自分を慰めるために毎日毎日書いていました。
何年かしてある程度立ち直り、ひすいこたろうさんの本を読んだ時、
作家になりたいなら、①原稿があること。
そして、いつ、どこで出版社の方や編集者に出会ってもいいように②毎日原稿を持ち歩くことだと読んで、衝撃でした。
私、素直だからその通りにしました。
ああ、何年かかけて、書き上げたものがあるじゃないか!と。
それから2年ほどしたある日、
買い物帰りに素敵なブックカフェがあってその赤い扉を開けたんです。
そしたら、実はそこはブックカフェ兼出版社だったんです。
死ぬほどドキドキしながら、原稿を渡しました。←2年間持ち歩いたからすでにボロボロ
編集長が受け取ってくれたんだけど、私、渡した原稿からなかなか手を放せなくて!
2人で原稿を持ったまま、引っ張り合いっこ!←何やってるんでしょうか。
編集長に、「もう諦めて手を離しなさい」と言われ、ものすごい恥ずかしかったけど、手を放しました。
数日後、また、そのブックカフェを訪ねました。口から心臓が出そうになるのを必死で飲み込んで←さすがにそんなことはない!
そしたら、編集長が言ってくれました。
「面白かった!」と。
あまりに予想外で、思わずポカンとしました。
そこは小さな出版社だったけど、すごく親身になって本にする方法を考えてくれました。
この時代←その時はたぶん2018年頃、出版社はどこも苦しいと言うこと。
けれど自費出版という形なら、本にすることは可能だということ、
500冊作って80万くらいになるといわれました。
印刷代も入れてだから、出版社はずいぶん頑張ってくれたんだと思います。
しかも、私には当時、まとまったお金がなかったので、
なんと、分割にしてくださり、80万を20万ずつ4回に分けてくださったんです。←そんな出版社聞いたことない
私は最後は、出来た本を売ったお金で最終の20万を支払いました。支払い終えられた時の嬉しかったこと!
そして、出来たのが
「あの日天使が舞い降りてきて ヤママユ奮闘記」
ちなみにこの「天使」は、ふりがなを「アイツ」と書いてあります。編集長のアイデアです。
この本は、確かに自費出版だけど、編集長と編集デザイナーさんと力を合わせて形にしてくださった逸品。文章構成、イラスト、表紙、目次、紙、すべてに細かいこだわりが詰まった作品です。
最初に原稿を見せてからなんと2年かかってしまいました。
それでも私は、出して良かったと思っています。
実は、これには続きがあるんです。
編集長の勧めで、2020年の自費出版文化賞に応募してみてはどうかと言われて応募してみました。
審査員は立派な先生方なんですけど、もしかしてビギナーズラックもあるかと思ったんです。
そしたらなんと最終選考まで残り、私をビビらせたあと、ちゃんと落選しました。←やっぱり
だけど、私は嬉しかったんです。落ちたけれど、それでも評価してくださったという事実が私を支えてくれました。
考えてみるとなんと、書き始めてから、10年近く経ってからの実現でした。
作家になりたいと思ってからは、20年経ってました。
この後、半年もしないうちに、編集長は病気になり、呆気なくこの世を去りました。
編集長に最後に打ったメッセージが、
「すみません、やはり、最終選考には落選しました」と
すると
「そうでしたか、それは仕方ない。そんなもんですよ」と。これが最期でした。
まるで夢だったのかと思うほど、呆気なく。
でも、編集長が作ってくれたこの一冊目のおかげで、私は次のチャンスを掴むことが出来たのです。
本作りはドラマだと思っています。
私のような主婦には、棚からぼた餅はなかったです。けど、夢はたしかに実現しました。
手持ちの500冊は、ほぼなくなりました。
でも、いつか増刷したいなと思っています。
300冊で30万くらいだそう。
私の初めての出版のお話でした。
1冊目は、書き始めてから10年。
2冊目は、なんと半年で実現します。