偶像化されたDRC。Jacques Frédéric Mugnier Musigny 2008
雨のような湿気を浴び続ける中にも、レストランでの食材やメニュー、そして夜に感じる風から、やはり一歩ずつ秋のニュアンスを感じる今日この頃。
いろんな面で夏より冬派の私だけれど、こうして夏が終わっていくのは、どうして毎年なんだかんだ切ないんですかね。
先週、今年最後であろう鮎をいただいた日に、また大好きなミュニエと巡り会えました。
しかも、ミュジニー。そこで、なんとも不思議な体験をしたんです。
2008。スタートはミュニエっぽいやや抑制的な雰囲気、でも開いていて、果実味はイメージしてたより前向きに感じられる。
赤い果実は可愛らしい。可愛らしいけれど、届きそうで届かない。他を寄せ付けない威厳があるのがやはりミュジニー。
そして、ミュニエといったら岩清水。なんて清々しく、澄んだ美しさ。
どんどん良くなっていって、最後グラス1杯になったとき、メインディッシュの波が来たので一旦ミュニエは横に。雲白肉にフカヒレ、麻婆を、ウニコと共に味わい、再びミュニエに触れたとき。
ベールを脱いだミュニエ、ミュジニーがそこに。
今まで感じたことのないミュニエ。香りはいっそう豊かに。果実味はより美しく立ち上がっていて、伸びやかに続いていく。
いや、そんな普通のコメントで収まらない。何故か、何故かDRCっぽさを感じる…。
浮遊感。この世のものではない感。
以前、有り難いことにDRC2019年の全ラインナップを飲ませていただいたとき、私はそれを両界曼荼羅図だと確信しました。
大日如来を中央に配し、もちろんそれはラ・ロマネコンティ、そして数々の仏=その他の畑を一定の秩序にしたがって配置したその絵。
すなわち、宇宙のすべてで、それは実体のないもの。
いや、実際に畑はあるし、ワインは存在してるし、実体はあるんだけど、でもそんな宇宙的な存在がDRCのワインだと、私は思っています。
しかしながら、今回はミュニエのミュジニー。DRCのような趣はあるけれど、偶像は存在している。宇宙的なものではあるけれど、宇宙ではない。地に足はついているワインなんですよ。
後々土壌や作り方などを改めて調べたけれど、このように感じた理由はよく分からず、、何かピンとくる人がいたらぜひ教えてほしいです。
ミュニエの新たな顔を垣間見れたと同時に、DRCってやっぱり異次元だなと感じた夜なのでした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?