【#革命現代京劇】沙家浜 第一場「連絡」日本語字幕
YOUTUBEに沙家浜第一場、新四軍の傷病兵が沙家浜へ避難し、日本軍がその軍を追ってくるところを投稿しました!
沙家浜は中国の20世紀文化大革命期の有名な京劇で,模範劇で赤色古典の1つである。
無産階級文化大革命中の八大模範劇の中でも1・2を争う人気劇でありリバイバル上演が何度も行われているほか、劇中の舞台となった沙家浜鎮は人気の観光地であり毎日この劇が上演されている。
毛主席が我々に教えている通り、「我々の文学・芸術はいずれも人民大衆の為の物、何よりもまず労働者・農民・兵士の為の物であり、労働者・農民・兵士に利用されるものである。」この模範劇は忠実に毛主席の言葉を実践し、毛主席の思想を学習したために現代の中国無産階級から変わらず熱い支持を受け、現代ドラマ「人民的名義」において第五場智斗の場面がそのまま流用される等経典となっている。
第一場では主人公の2人阿慶嫂と郭建光が出会い新四軍の負傷兵が町に避難する場面が描かれている。
ストーリーは以下の通り
日中戦争期、蘇南常塾中国共産党県委は、沙家浜陽澄湖のほとりに連絡站を設けていた。連絡員﹒阿慶嫂は茶館を開いてカモフラージュしていた。新四軍はこの地を撤退するとき、傷病員十八名を残し、阿慶嫂が湖の芦原にかくまった。ゴロツキの武装忠義救国軍は、蒋介石に買収されて、日本軍と結託し、反共﹒叛国した。偽の司令・胡伝魁と偽の参謀長﹒刁徳一は日本軍の命を受けて沙家浜に進駐し、新四軍の傷病員を捜査した。胡伝魁は日中戦争初期に阿慶嫂に命を救われたことがあり、刁徳一は当地の狡猾な地主の息子である。二人は功を焦って、阿慶嫂に会うと、何度も詭計を用いて問いただした。阿慶嫂は身を虎穴におきながら、機知を用いて勇敢に何度も敵の攻勢を破り、傷病員たちは芦原の中で安全無事であった。後に胡伝魁の結婚の日、阿慶嫂と郭建光は計略をめぐらせ、傷病員に変装させ、祝宴の席に引き入れ、新四軍の主力部隊と呼応して、ゴロツキどもを一網打尽にした。沙家浜一帯には、再び赤旗がひるがえった。
「浜」とはクリーク地帯の小さな入り江のこと。「濱」の略字体ではない。
別名《蘆蕩火種》。汪曾祺﹒毓珉﹒肖甲﹒薛恩厚が同名滬劇に基づいて改編。1964年、北京京劇院四団により初演。