「美しさ」の抵抗
確かめたいことがあって、中原淳一展に行ってきた。
やはり、色使いの美しさ、
デザイン、構成の絶妙なバランス感…
レトロだったりモダンだったりで
全く古臭くないのが素晴らしい。
(なんなら、今の人がそういう風に作ったような気配すら感じる)
最初期の、線が薄く、ぼんやりとした雰囲気の少女たちは
正直そんなに好みではなく、
素晴らしいセンスについて全く異論はないものの、
わたしには合わないんだろうな…くらいにおもっていたのだが…
中期、後期と進化を続けていく女性像にはグッとくるものがあった。
特に戦前、戦中、戦後という時代背景を鑑みて、
このいっそ執念すら感じる「美しさ」へのこだわりは
イラストがもたらす印象以上に
もっとずっとアツくて、激しいことがわかる。
特に今回の展示は、イラスト作品だけでなく、
洋服や、文章、愛用していた品々も多くある。
全体を通してみると、
「ただ見栄えがいいことが美しさではない。
美しさとは人間らしさであり、教養や思いやりなのだ」という
彼の哲学が伝わってくる。
混乱する時代、世界に必死に抗おうとしている様子が伺えてくる。
晩年の「のんだくれた男性の人形」のように、少々毛色の違うものもある。
現実は思うようにいかず、時に見苦しいことも多い。
でも、それも、いいよね、ちょっと可愛げがあるよね…という気持ちが出てきたということなのだろうとはおもうが、
それ以上に、だからこそ理想はできる限り美しく、華やかに、希望のあるものにしていかなければならない…という信念があったのだろう。
絶筆だという『蝶々夫人』の壮絶な美しさには
まだまだやりたい、やらねば…と、鬼気迫るような気配を感じた。
美しいとか、かわいいとか、ちょっと便利とか
生きていくうえで必ずしも必要ではないもの。
そういうものにこそ人間らしさの一端が現れてくるのだ。
だからこそ、そういうものを大事にしていく必要があるのだ…
そんな祈りにも似た切実な思いが中原淳一作品の根底にある。
わたしも、美しいとか、かわいいとか、ちょっと便利とか
生きていくうえで必ずしも必要ではないものを大事に愛でていきたい。
そういうものを踏みにじったり、
蔑ろにしていくような状況や環境には精一杯抗っていきたい。
中原淳一の種に触れた者のひとりとして、そこはもう絶対に譲れない。