未来掲載評(工房月旦) 2023年4月号
未来2023年4月号掲載
無何有の郷、彗星集、陸から海へを担当します。一年間よろしくお願いいたします。
ハイビーム夜を引き裂き何急ぐ虫平然と鳴き継いでをり 麻香田みあ
上句で「シティーハンター」のエンディング映像を想起した(曲:Get Wild)。しかし、それはフィクションだ。遠く届くハイビーム、その速さへの驚きや、眩しさを嫌う気持ちが下句に続きそうなものだが、地に足のついた眼差しがとても面白い。ハイビームから虫へと視点が移る。何の虫かも書かない。ハイビームに対する意識が薄れて、読者は現実世界に戻ることができる。
波板の屋根を透して満月はゆがみつぶれてひらたく射せり 飯田明美
波板は薄手の建材。住宅街で、小さな駐車スペースなどに使われているのを見かける。薄手とはいえ屋根を透すことから、満月の明るさを確実に伝えている。波板の屋根と明言することで、歌の輪郭がはっきりした。同じ月の下にいても、受ける光はそれぞれだ。自由を重ねるか、孤独を重ねるか。奇妙な形につぶれている満月。全能の光など無いと実感させられる。
きみという物語から一つずつ剥いだ付箋を外壁に貼る 三浦将崇
本を読み終え、片付けるために付箋を本棚のへりにでも貼り付けている。付箋はまたすぐに使える状態にしておく。何度も読み返したくなる物語だった、と読んだ。「一つずつ」は必要だろうか?と思ったが、これによって、満足感たっぷりな時間を表せているのかもしれない。付箋たちが、無個性なモノに戻る場面を描写した歌。
つくつくと最後の蟬が啼いているみんないないよ落ち葉になって 藤島優作
ひらがな表記の鳴き声が弱々しい。最後と言い切るのは、こんな声を過去にも聞いたことがあるからだ。木の周りで脈々と続いてきた命。セミの羽は葉脈を連想させるから、すんなり受け入れられる比喩なのだが、思いを馳せていると、むごい風景が見えてくる。そんな生き死にの歌でありながら、表記や口調によって軽く仕上げている。
臨終に間に合はずなりオペラ座の怪人を見し遠足にゐて 野田かおり
他人事とは思えない一首。大切な人の一番近くには常に、私ではなく、死がいる。「オペラ座の怪人」の公演が無い日のほうが珍しい。特別な公演でないからこそ、間に合わなかった事実を強めている。現実を離れていた時間は少しだけなのに。悲劇のただ中ではなく、受容を経て作られた連作だ。祖母の教えが生きている。
食べてなお腑にあたたかき担々麺ありがとう担ありがとう麺 吉村桃香
辛いものを食べたときの、体の内側がぽかぽかとする感覚を詠んでいる。「ありがとう」で挟まれているから、細かくなった担々麺が、腑で自身と混ざり合っていく様子を想像した。音も温かい。空腹が満たされると、心持ちまで変わってくることがあるが、それが下句のリズムに影響しているのではないか。落ち着いて食事を頂く時間を大切にしよう。
毎月「未来」には、一か月では読み切れない量の作品が載ります。工房月旦があることで、皆さんと魅力的な歌との出会いが増えると嬉しいです。