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「何もしない」という1番の贅沢について

※去年2024年に書いていたものを一気に出すことにしました〜。

こちらから↓

「贅沢」というと、例えば海外旅行に行くとか、なんだろう有名なレストランに行くとか、まあ人によっていろいろなのだろうと思う。

僕にとっての贅沢というのは「何もしないこと」である。

現代はなんというか、できるだけ時間を有意義に使うことが大事にされているというのか、昔に比べてインターネットもあるし、スマホでたいていのことはできちゃうようになった。

それに伴ってやれることが増えたものだから、あれもこれもとやるのに時間がいくらあっても足りないという感じがする。

僕も1日24時間をできるだけ「何かをして」いることで有意義に使うことが大事というのか、ぼけっとしていると取り残されそうな気がして、どう時間を有意義に使うか?ということを考えていた時もあったし、そうしないと人としてどうなのか?くらいまで思い込んでいた。

ただ、ある時にふと「自分は何かしらやって時間を有意義に使っているような気になっているけれど、そもそも何かしらやっていないといけないのか?」と思った。

なんかやっていないと、活動していないと今の時代に置いていかれそうというのか、まあ周りと自分を比べていたっていうことなのだろうけれど、そういう、焦りみたいなもので自分は動いていたように今となっては思う。

極端な話、自分がいなくったって世界は変わらずに回っていくだろうし、僕が何かしても何もしないとしてもそんなに大きく変わらないのであれば、もっとのんびりと生きていけばいいじゃないかと気づいた。

みんながやっているから、流行っているから、今はそれが普通だからといって、自分がそれを全てやる必要もないし、結局は「自分がどうありたいのか」を意識して「今ここ」という瞬間を生きていくことが大事なのであるし、やることはシンプルにそれだけでいい。

そう思えれば、なんだろうコスパ、今だとタイパ?ともいうのかな、そういう言葉もあるみたいだけれど、僕としてはそういうのとは関係のない世界でのんびりと生きていきたいというのが素直な気持ちであるから、じゃあそう生きたらいいじゃないかというシンプルな考えにたどり着いた。

ちょっと前までは朝起きてから夜寝るまでの1日の流れを表にしてつくってそれを壁に貼ってその通りに過ごすようにしていたし、そうすることで無駄がなく自分にしては生産的に有意義に1日を過ごせていることに満足感を感じていた。

まあその時はその時でよかったし、そうやって自分でスケジュールをつくってその通りに動くというのは今の自分の役に立っているというのか、1日のリズムみたいなものを自分でつくれるようになった。

とはいえ、今はというと、そういう決められたスケジュールみたいなものはつくっていないし、ルーティンみたいなものはあるけれど、基本的にはその時に感じたこと、思いついたこと、直感的にピンときたことをやるようにしている。

そして最初にも書いたように、何にもしない時間もつくっていると言うのか、特にやることも思いつかない時はスマホとかパソコンから離れてぼーっとする時間を過ごす時もある。

まあ世間から見たらタイパは全く良くないし、現代を生きていると「自分はこんなことしてていいのか?」みたいに思ってしまいそうだけれど、僕が何もしないでちょっとぼーっとしたからって世界に置いていかれるわけではないし、むしろついていこうとも今は思わない。

誰かがとかみんながとか外側ばかりに気持ちを向けて焦ったり落ち込んだりするのではなく、自分の心に気持ちを向けて、自分のペースで自分の生き方くらいは自分で決めて進んでいきたい。

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ささきたけよし
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