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文章を書くということについて


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文章を書くということを始めてからだいぶ経つけれど、不思議と飽きるということがない。

まあ、才能とかセンスはないにしても、飽きっぽい自分がこれだけ長く、しかも楽しく文章を書くことを続けていられるのだから、もしかしたら僕にとっては「文章を書く」というのは、向いていることなのかもしれない。

基本的には毎日、何か用事があったりして書けないという時もあるけれど、文章は書くようにしているし、文章を書かないとなんだかスッキリしないなあという気持ちになるようになった。

とはいえ、小さいころから文章を書くことが好きだったわけではなく、むしろ逆で日記をつけていたこともないし、夏休みの絵日記とか、読書感想文とかはやりたくなくて、最後まで手をつけないタイプだった。

文章を書く人だと、昔から日記をつけていたとか、そもそも書くことが好きだったという人もいるのだろうけれど、僕の場合はある程度してから、それもふいに「あ、文章が書いてみたい」と思いついて書き始めた。

そもそも本を読むことは好きだったけれど、それで自分は作家になりたいとか、何か物書きになりたいということは全く考えたことも、想像したこともなかった。

自分は読む側であって、書く側になるなんて思ってもみなかったことである。

とはいえ、エッセイは昔から好きで、読んでいても楽しいから、「自分でもこういうわかりやすくて、自然体で飾りのない、それでいて面白い文章を書けたら楽しいだろうなあ」と思ったことはあった。

だからもし、僕が何か文章を書くということをするのだとしたら、エッセイしかないと心の片隅にそっと置いていたわけだけれど、まあエッセイになっているのかわからないけれど、こうして自分が感じたり思ったことを今は書いているわけだから、なんとも不思議な感じがする。

僕が文章を書いている時はなんというか、うまくいえないのだけれど「自分で書いている」という感じがそんなにしない。

文章を書いている時の僕は、ただの受信する装置、アンテナみたいなもので、宇宙だかどこからだかはわからないけれど、そこから言葉がフワフワと飛んできて、それを僕というアンテナがキャッチして、パソコンでぱたぱたと入力しているというイメージである。

だから、僕が思いついて考えてこの文章を書いているというわけではないというのか、なんだろう自分のアンテナがキャッチした言葉のかけらを、整理してひとつのまとまりとして形づくっているというのがしっくりくるかもしれない。

だから、書く時はあんまり悩まない、というか考えているようで、考えていないのだと思う(まあいつもかもしれないけれど)。

ただぼんやりするというのか、自分が空っぽになってリラックスして、自分のアンテナがフワフワと浮いている言葉たちをキャッチするのを待っている。

言葉たちは、しばらくやってこないこともあるし、次々とやってくることもあるから、こちらではペースを決められないので、そこは自然にまかせる、委ねるという感じである。

とはいえ、そこは焦らないというか、これまで何回も書くということを繰り返すうちに、のんびりとかまえられるようになった。

まあ、これが小説家で締め切りがせまっているとなると、そんな悠長なことも言っていられないのだろうから、僕としては自由に自分のペースで文章を書くというのがあっているし、だからこそ楽しく続けられているのだと思うし、これからもマイペースに書き続けていきたい。

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ささきたけよし
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