自分と共に生きていくことについて、あるいは自分の味方であり続けることについて
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自分というのは、まあ普通にいえば「ひとり」の存在ではあるのだろうけれど、僕としてはうまく言えないのだけれど、体はひとつでも少なくともふたりは自分がいるんじゃないかと思って生きている。
これは人格がふたつあるみたいなことではなくて、主観的な自分と客観的な自分というのか、はたまた今の自分と今の自分よりもちょっと成長した自分といえばいいのか、まあ、スピリチュアルなことはわからないけれど、そういう感覚がなんとなくある。
そして自分が自分をサポートするでもないけれど、時にはくじけそうな自分の手をとって立ち上げてくれるのも、一緒に肩を組んで二人三脚で進んでくれるのも自分というのか、やっぱり自分が自分の最大の理解者であり、味方であり続けるということは、生きていく上でとても心強いなあと感じている。
昔は自分で自分を好きになれなかったけれど、今はようやくありのままの自分を認めて受け入れられるようになったし、そうすることでより自分が伸び伸びとして本来の在り方に戻ってきていることを嬉しく思っている。
もちろん家族や友だち、仲間の存在も大事だし不可欠な存在ではある。
けれど、まずは自分が自分を嫌いにならないで、見捨てないで、例え今は周りに理解者がいない状況だとしても、むしろそういう状況だからこそ自分が自分の理解者であり、味方であり続けることはとても大事だと思う。
僕も自分に救われてきたというと変かもしれないけれど、「よくやったよ」とか「そんな時もあるよ」とか「生きてるだけで偉いよ」みたいなことを自分がキツい時には自分で自分に声をかけていたし、誰かにそういう言葉をかけてもらえなくても、自分で声をかけてあげることで真っ暗なトンネルも進むことができた。
今はそういう暗闇を過ぎて明るいところへとようやく出てこれた感覚はあるし、トンネルを抜けたら、まあ道のないジャングルみたいなところではあるけれど、そこに自分で自分だけの道をつくっていくんだというワクワク感もある。
そして今はひとりではないし、周りに家族や友だち、仲間もいるということがわかったから、心細いということもない。
実際に目の前に道をつくり進んでいくのは自分ひとりかもしれないけれど、そこにはいつだって、そばに自分がいてくれてサポートしてくれているという、安心感みたいなものがある。
これまでは自分が自分を嫌で突き放していたけれど、その時はそれこそ自分ひとりという感覚で生きることがかなりキツかったし、誰も自分の味方がいないと感じる時もあった。
けれど、自分をまるっと認めて受け入れて自分と共に生きていくことを決めると、自分という絶対に裏切らない、最大の理解者であり味方である存在ができる。
そしてこれまでは自分の好きな部分、全体の50パーセントが自分と思って生きてきたけれど、自分の認めたくない部分、残りの50パーセントを認めることでようやく自分は自分として100パーセントになるというのか、自分が自分を補完しあうというのか、好きなところも嫌いなところもまるっと含めて自分というのが今の感覚である。
これからも自分は自分と共に生きていくだろうし、自分をサポートし応援していきたいし、最大の理解者であり味方であり続けたい。
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