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自分の時間の使い方について

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1日というのは24時間で、その時間をどう使うのか、もっと細かくいうのであれば「今ここ」という瞬間をどう使うのかということが、自分の人生をつくっていくのだと思う。

最近は、そういう時間の使い方というのか、自分の「今ここ」をどう生きるのか?ということを考えるきっかけになるようなことが、たくさんあった。

1日、あるいは今ここを生きていると、いろんなことが僕の目の前に現実として出てくる。

そしてそれを「これはいいこと」「これはよくないこと」みたいに無意識にジャッジして、勝手に自分で仕分けしては、一喜一憂してこれまでずっと生きてきた。

けれど、そうやって自分がジャッジをしていたことは、そもそもは何も色のついていない、無色透明の、「ニュートラルなただの現実」だということに気づいたというか、そういうことなのかな?と感じるようになった。

そして、そういうふうに感じられるようになると、全ての目の前の現実というのは、自分次第でどうとでもなると言えばいいのか、そもそもジャッジする必要もないし、ジャッジしないのであれば「これはよいこと」「これはよくないこと」みたいに感じて心を振り回されることもない。

そういうふうに思えるようになると、なんとも気持ちがラクになったというのか「ああ、なんだ自分でよいとか、よくないとか勝手に決めつけていただけだったんだ」とちょっと自分の物事の見方が変わったように感じた。

とはいえ、いつでもそうやって目の前の現実をニュートラルに見るということができるわけではないけれど、それでもそういうふうに、ニュートラルな見方もできるということを知っただけで、だいぶ生きやすくなったというのか、自分の自由度が増したように思う。

基本的には、心穏やかにワクワクしながら生きるという姿勢は変わらないけれど、それにプラスして、ジャッジしないで現実をニュートラルに受け取る、ということも意識するようになると、精神的にもだいぶ心が落ち着くように感じる。

だからなんというか、これまではメンタルの調子を崩した時から、とにかく「自分の心を守ること」を最優先にしていたし、そのためには「自分の時間を自分のために使うこと」や「自分を満たすこと」もとても大事なことだった。

そうやって、自分の心をちょっとずつ回復させて、落ち着かせるためにあれこれと試行錯誤してきたわけだけれど、ここにきてようやく、自分の心が満たされたというのか「自分はもう大丈夫」という感覚が、何でかはわからないけれど出てきた。

もちろん、あとは自分の時間の全てを誰かに、何かに捧げるということではなくて、自分をまず大事にしてあげることができて初めて、自分の外に目を向ける余裕ができると思うから、そこは間違えないように、忘れないように意識している。

なんというか、「自分と外の世界とのバランス」みたいなものを、ようやく自分でとれるようになったというのか、まだうまく言語化できないのだけれど、「自分で自分をなんとかできる」という安心ができたことで、これからはもうちょっと自分の時間を、自分のまわりの人や大切だと思うことに使っていきたい。

今はそう思っているし、そうしていくことが自分の幸せにもつながることだと感じている。


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ささきたけよし
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