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音楽との距離感について(その3)

(※今日の内容を音声で楽しみたい方はコチラからどうぞ(^^)↓)


前回、前々回に続き、音楽との距離感についての3回目。

今はインターネットがあるおかげで、いろんな音楽のジャンルについて調べたり、今まで聴いたことのない新しい音楽も見つけやすくなった。

まあ逆に情報も音楽も多すぎて、どこから手をつけたらいいかわからなく時もある。

ジャンルだって細分化されているし、新しいミュージシャンの人たちもたくさん出てきている。

若い頃はなんというか、変なこだわりみたいなものがあって「ロックしか聴かない」「ビートルズしか聴かない」みたいな時もあった。

今考えるとなんでそうだったのか思い出せないのだけれど、若い時は若いなりに思うことがあったのだろう、今は割となんでも聴いてみるようになったし、そっちの方が新しい音楽を見つけられるから楽しい。

といっても、僕が聴くのはたいていはバンドなのだけれど、それでも今のバンドの音楽を聴いてみるのは面白い。

あと音楽としては生活、日常にある音楽みたいなものにも興味を持つようになった。

なんというかうまく言えないけれど、みんなで楽器を持ち寄って音楽を演奏するような生活の一部にあるような音楽である。

僕は音楽というのはプロ、つまり音楽を作ったり音楽を演奏する人たちのものと思っていたところがあるのだけれど、動画などで外国の人たちがパブで楽器を持ち寄って楽しそうに演奏しているのを見ると、音楽ってもっと広くて自由なものなんだなと改めて気づいた。

音楽はシンプルに音を楽しむもの、そう考えられたら音楽が自分にグッと近づいてくるように感じる。

もちろん、世界には素晴らしい音楽を作り、演奏して人々を喜ばせている人たちがたくさんいる。

まあそれをプロと呼ぶのだろうけれど、例えプロ、音楽で生計をたてていなくても音楽を作ったり演奏することはできるし、音楽を自分の生活の一部にすることはできるはずである。

なので今も十分に楽しい生活をしているけれど、さらに音楽のある生活になるともっと楽しくなるんじゃないかと思ったし、それは音楽の才能があろうとなかろうと関係のないことである。

楽器を演奏してみたいとまた最近になって思うようになったのはそういうことであり、楽器を演奏する、音楽を鳴らすというのは特別な才能を持った人たちだけのものではなくて、シンプルにより人生を楽しくしていきたいという人みんなのものだと思う。

ギターやベースもかじったくらいでほとんど弾けなかったけれど、それでも自分で音を鳴らすというのは、音楽を聴くとはまた違った喜びや楽しみがあるものだと知ることができた。

そしてそういう音楽を聴いたり、自分で演奏してみたりという音楽がそばにある生活というのも、何も特別なことではなくて、やろうと思えば今からでもできることなのである。そしてそれに年齢は関係ない。

だからこれまで聴いたことのない、いろんな音楽を聴いてみたいし、これまでやったことのない楽器、もしくはギターとかベースをまたやり直すのも楽しそうでやってみたい。

なんというか、しばらく遠ざかっていた友人とまた会って話すような感覚で、音楽がまた自分のそばにある、そう考えるとなんだか嬉しいしワクワクしている。




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ささきたけよし
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