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日常を(ちょっと)丁寧に生きることについて

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ここ最近はいろんなイベントに参加したり、自分がマルシェに出店してみたり、あちこちに人に会いに行ったりと心の向くままに動いているわけだけれど、ふと「日常をもうちょっと丁寧に生きてみようかな」と思うようになった。

なんでそう思うようになったのかはよくわからないし、なんというか、普段の生活をおろそかにしていたわけではないけれど、どこかに行ったり人に会うのが今はとても楽しいというのもあって、家にいる時はなんだか落ち着かないというのかバタバタして、じっとしているということがあまりなかったように感じていた。

もちろん、ちょっと前の自分だったら信じられないくらいに、今では外に出ていろんなところへ行き、いろんな人に会うようになって、それでまた自分も自分の人生も、大きく変化してきた。

けれど、なんだろう、そもそもの自分の基礎というのか土台になっている「特に何事もない、何気ない普段の生活を、楽しく丁寧に過ごす」ということから、ちょっと離れてしまっていた。

まあ、だいたい家にいる時の僕のルーティンというのは決まっているから、もう体が覚えてしまって、流れ作業みたいになってしまっていた部分もあるのかもしれない。

けれど、「何か特別なことをしているから楽しい」というふうに感じるようになってしまうと、特に何事もない何気ない普段の生活が、どれだけ幸せでありがたいことなのか、ということを意識しなくなってしまうというのか、「あって普通」のことに感じるようになってしまっている自分がいることに気づいた。

そう、そもそもこうして生きていること、住む家があって水があって、食べ物があって、着る服があること、家族がいること仲間がいること、好きなことができること、ついつい「あって普通」だと思ってしまいがちな今の環境が、どれだけありがたいことで幸せなことなのかを思い出すために、もう一度、呼吸をととのえて、ちょっといつもより丁寧に日々の生活を過ごしてみようと思う。

やっぱり、普段の生活で行っている、いろんなことに今の自分が出てくると思うから、ひとつひとつの動作というのか、「特別なことを何もしていない時間」もじっくりと楽しみながら、感謝しながら日々を過ごしていきたい。

もちろん、どこかに行ったり、人に会ったり、イベントに参加することも楽しいので、続けていくことに変わりはないし、これからも心がピンと感じたままに動いていきたい。

それと同時に日々の何気ない、特に何も特別なことがない、いつも通りの静かな生活も、同じくらいに楽しく丁寧に過ごして生きていくことで、今よりも心の充実感は大きくなっていくんじゃないかと、感じている。

とはいえ丁寧に生きる、生活するといっても完璧を求めるのではなくて、できる範囲で「このくらいやらなきゃ丁寧じゃない」みたいなことにとらわれることなく、自分がやっていて心地いいと感じるくらいの丁寧さで、ゆるく無理なく「丁寧に生きること」は、続けていきたい。

そして、そうやって日々の何気ない生活が、丁寧で充実しているからこそ、外に出たり人に会ったりすることもさらに楽しくなっていくんじゃないかと今はそう思っている。



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