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おくりびと

映画「おくりびと」       狭間 孝
 魔法のように手が動き遺体を生前の美しさで見送る納棺師の優雅な所作。この映画を見て私は『おくりびと考』という題名の詩を書いた。「余命三カ月と言われたら/僕は セブンティーンだった頃の/ポニーテールのクミコに会いに行きたい(略)余命三カ月と言われたら/本当のところ/たぶんきっと/弱々しい僕をいたわり/クミコの暮らす岬の町へ/付き添って来てくれるのは/長年 連れ添った我妻で/最期に/いっしょに寄り添うはず…」高齢となった者の甘美な青春遠望だ。私は特養ホーム施設長として終末期を迎えた高齢者と家族を自分の事のように思い描きながら数百人看取ってきた。これまで生き抜いてきた人をおくる納棺師の映画ということで更に身近に感じるものがあった。映画のストーリーを思い出してみた。プロのチェロ奏者だった大吾(本木雅弘)は故郷の山形県酒井市に妻(広末涼子)と帰り、就職先を探していた。「年齢問わず高給保証!実質労働時間わずか。旅のお手伝い。NKエージェント」という新聞広告を見て旅行代理店と勘違い。鄙びた建物の中で強引な社長(山崎勉)に押し切られ就職する。妻に冠婚葬祭関係の仕事としか言えないまま、初仕事は納棺解説のビデオ撮りで遺体役だった。次は高齢女性の孤独死、死後二週間経過した腐乱死体の処理の場で嘔吐しそうになるが、社長の鼓舞激励の声で耐えることができた。腐乱しても人の死に違いはない。大吾は仕事に慣れていくが、妻にはまだ仕事を打ち明けていなかった。幼馴染(杉本哲太)から「もっとましな仕事に就け」と言われ、妻は初撮りの納棺ビデオを見ながら「汚らわしい仕事は辞めて」と懇願し別居する。しかし、大吾は人の生死に向き合う納棺師として誇りを持ち成長していく。雪を頂く鳥海山を背に月光川土手で大吾がチェロを弾くシーンは印象的だ。大吾の手は納棺の所作を繊細で優雅に見え、残された者の心に届く。別居中の妻は身ごもった事を告げに帰ってきた。
銭湯を営む幼馴染の母の死、幼い頃離別した父の死に納棺師としての大吾の所作を妻は見つめた。火葬場職員(笹野高史)が「死は門をくぐると新しい世界の始まり。だから、行ってらっしゃい」と見送る。        (詩人会議2024₋月号掲載 誌上名画館)

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