「遠距離介護と仕事の両立」Day 17: パーソン・センタード・ケアを活かす

Day 17: パーソン・センタード・ケアを活かす

敏江は少しずつ周囲の助けを受け入れるようになってきた。訪問介護にはまだ抵抗があるものの、民生委員である田中さんが訪れてくれることには安心感を抱いていた。敏江は、田中さんとの会話を楽しみ、家事のちょっとした手伝いを嬉しそうに洋子に報告した。「今日は田中さんが来てくれて、庭の草を取ってくれたのよ。少し話をして、昔のことも思い出してね」と、電話越しに聞こえる声はどこか柔らかくなっていた。
一方、洋子はその話を聞きながら、内心複雑な感情を抱いていた。敏江が少しずつ他人の訪問を受け入れていることに安心しながらも、通所サービスや訪問介護という本格的な支援を早めに利用してほしいという願いがあった。しかし、洋子は敏江の姪であり、娘ではない。親族として助言したい気持ちは強いものの、敏江の頑固な性格と、自分の立場を思うと、どこまで口出しできるのか迷いがあった。
「本当は、もっと早くデイサービスや訪問介護を使ってくれたら安心できるのに……でも、敏江さんが嫌がることを無理に言うわけにもいかない」と、洋子は自分の心の葛藤に揺れていた。遠距離介護という状況も、彼女にとって大きな負担だった。頻繁に訪問できない以上、外部のサポートに依存せざるを得ないが、敏江の自尊心を傷つけてはいけないと思った。
「無理にお願いするつもりはないけれど、いつか困ったときには頼ってほしい」と、洋子は慎重に言葉を選びながら敏江に伝えた。敏江も洋子の優しさを感じつつ、まだ完全に心を開いたわけではなかったが、「もう少し自分でやってみたいけれど、本当に困ったら頼むかもしれない」と、少しだけ譲歩の姿勢を見せた。
洋子はその言葉を聞き、一安心するものの、自分の中に芽生える葛藤が消えることはなかった。「姪として、どこまで敏江さんに介入すべきなのか……それでも、この不安を手放して安心したい気持ちはあるな。私は冷たいのかな・・・」と、心の中で自問自答を続ける洋子だった。

認知症のパーソン・センタード・ケア

認知症のパーソン・センタード・ケア(Person-Centred Care)は、英国のトム・キットウッドが提唱した認知症ケアの理念です。「患者が単なる病気としてではなく、ひとりの人間として扱われること」を重視しました。また、日本の介護現場でもこの考え方は広く取り入れられ、患者の生活の質を向上させるために多くの施設で活用されています。

パーソン・センタード・ケアは、当初「認知症の人を中心としたケア」というニュアンスで翻訳されていました。いまでもそのような説明がなされていることがあります。「家族や支援者だって大変なのに!」というどこか受け入れがたい気持ちを持たれている方に出会ったこともあります。

実は、パーソン・センタード・ケアの考え方は、認知症の人を優先するという考え方ではありません。認知症の人が過小評価されたり、同じ人としてみなされていない(例えば虐待されている)状況が、認知症の人の良くない状態につながっているということを明らかにしていると思っています。

パーソン・センタード・ケアの4つの要素

パーソン・センタード・ケアの要素について、英国のドーン・ブルッカー氏は以下のように4つに分けています(VIPSフレームワーク)。
個人の価値の尊重(V): ケアを受ける人とケアをする人は同じ価値をもつ人間であることを前提としたかかわりを行うことが重要です。

個別化されたケア(I): 単に病気や障害に焦点を当てるのではなく、個人の「全体性」に目を向けることです。つまり、認知症などの脳の病気や身体的な健康だけでなく、心理的・社会的・文化的背景や、その人の過去の経験、家族との関係などを総合的に考慮しながらその人にあったかかわり(医療では介入)を行うことにあります。

本人の視点の重視(P): 認知症の人とのかかわりには、本人の希望や視点から見ることが、その人の良い状態に大きな影響を与えることを理解すること。

社会的なサポート環境(S): ケアを受ける人が家族や地域、社会とのつながりを保ちながら、孤立しないようなサポート環境を整えること。


洋子の関わりを、VIPSフレームワークに沿って説明すると、敏江の価値観や気持ちを大切にしながら、徐々に支援を進める姿がよく分かります。まず、敏江は「自立したい」「他人に家に入られるのが嫌だ」という強い気持ちを持っています。洋子はその価値観をためらいながらもしっかり尊重し、無理にサービスを勧めませんでした。

敏江の気持ちやペースに合わせることも大切にしています。訪問介護に抵抗を感じている敏江に対して、洋子は焦らず、まずは負担の少ないサポートを提案しています。これにより、敏江は自分のペースで少しずつ他者の助けを受け入れることができています。このように、敏江の個別のニーズや状況に合わせたアプローチが取られています。

また、敏江の視点を尊重していることも大きなポイントです。洋子は敏江の「まだ自分でできる」という意志を尊重し、無理にサポートを押し付けることなく、必要になったときに頼れるということを伝えています。このように敏江の気持ちに寄り添いながら関わる姿勢でいることが、本人との関係性を維持できているのだと思います。

最後に、洋子は敏江が孤立しないように、相互に支え合う環境を整えています。洋子自身は遠方で仕事が続けられています。地域の田中さんが民生委員として、敏江が孤立しないよう配慮しています。そして包括支援センターの佐藤さんがこうした社会的なつながりを維持する方向へと導いています。このような、だれもが自分ができる範囲で敏江とかかわることで、もろくなっている生活状況が少しずつ整ってくるのです。

洋子の関わりは、まさにパーソン・センタード・ケアの実践例といえます。

次回: Day 18 - 叔母との電話
訪問介護を進めたい洋子の気持ちと、敏江の強い自立心が再び対立。次回は、洋子が葛藤を抱えつつ、敏江との会話にどう向き合うのか…。よろしければ、スキ・シェア・フォローをお願いします!



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