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「癒し」と「日本文化」

おはようございます。
最近記事にはできてませんが、松岡正剛著「日本文化の核心」を毎日30分ほど書き写しをしながら、その内容の理解を深めています。

書き写しをすることを通して、気づいたこと、書きたいことがたくさんありすぎて、いつの間にか投稿するまでにはいかなくなる。これが結構多いなと最近思います。

ということで、今日は短文でもよいので投稿しようと思います。

「和漢の境をまたぐ」

第二講の「和漢の境をまたぐ」。これが非常にインパクトの強い章だった。この章にどんな内容が書かれているかといえば

ここでは、いくつもの日本のコンセプトが「和漢の境」をまたぐことによって成立してきたという顛末を話したいと思います。
和漢の境をまたぐとは、中国(漢)と日本(和)の交流が融合しつつ、しだいに日本独自の表現様式や認知様式や、さらには中世や近世で独特の価値観をつくっていったということです。

松岡正剛著「日本文化の核心」講談社現代文庫 P35

日本のコンセプト自体が、「和漢の境」をまたぐことによって生まれてきたという話です。

その具体例として、禅宗の「枯山水」、「喫茶」、そして最大の文明的事件と著者が主張している「漢字」への向き合い方などがあげられており、どれも納得させられるものばかりです。

読みながら生まれる「癒し」

書き写しながら読んでいることもあり、通常より時間はかかりますが、内容の理解でいえば、通常の読書よりもより深く理解が進んでいる気がします。

「和漢の境」をまたぐをキーワードにして、今まで名前を知っていたこと、知らずに調べたこと、それらが「和漢の境」をまたぐですべて理解できていく。この爽快感と「和漢の境」をまたぎながら、様々なものを創り出してきた先人たちに思いを馳せずにはいられません。

著者が言う「ジャパンフィルター」のひとつであろう「和漢の境」をまたぐということ。このフィルター、概念?から日本の様々なものが生まれてきたのを想像したとき、私の中で「癒し」というのが出てきてびっくりしました。

目の前に見える形の日本文化もあれば、見えないジャパンフィルターというのもある。その見えない日本の持つ世界の観方、「観点」というものと出逢えた気がして、それが自分自身のアイデンティティに繋がる感覚が生まれ癒しが生まれたのです。世の中にはたくさんの情報があふれていますが、自分自身のアイデンティティに繋がる情報と出逢えた喜びともいいましょうか。

どこからきたのか

私たちはつい、無意識にどう生きるべきかを中心に生きてしまいます。しかし、私たちがどこからきたのか?へ立ち戻る意味と価値を、この本は教えてくれたような気がします。どう生きるべきか?をより充実したものにする意味でも、「どこからきたのか?」と時間軸的にいったらバックすることが、実はこの時代に最も必要なことでもあるなと、規模は大きくなってしまいますが感じます。

とにかく今日は投稿できてよかった(笑)
最後まで読んでいただきありがとうございました!


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