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日本文化の核心 松岡正剛著 第二講 和漢の境をまたぐ

こんにちは。

今日は松岡正剛著「日本文化の核心」の第二講「和漢の境をまたぐ」の要約と自身の気づきを備忘録的に書いていこうと思います。

前回の第一講「柱を立てる」の記事はこちら

「和漢の境をまたぐ」のポイント箇条書き

・日本のコンセプトの多くが「和漢の境をまたぐ」ことによって成立してきた

・和漢の境をまたぐとは、中国と日本の交流が融合しつつ、しだいに日本独自の表現様式や認知様式やさらには中世や近世で独特の価値観をつくっていったということ。

・グローバルスタンダートとしての中国を規範にしてきたものが、古事記や万葉集の表記や表現において一挙にローカルな趣向を打ち出し、ついに仮名の出現によってまったくあらたなグローカルな文化様式やクレオールな文化様式を誕生させた。しかもそのあとはこれを徹底的に磨いていった。

・例えとして禅の枯山水。お茶のこと。建具など

・災害の多い日本だからこそ、「写し」という美意識が発達した

・漢字をそのまま認識して途中からかわってきた。縄文時代から話してきた発話性にかぶせるようにして読み下してしまった。ただ輸入したのではなく劇的な方法で編集した

・中国語をそのまま使うのではなく、日本語に合わせて使ったり、日本語的な漢文をつくった。

・古事記の表記に漢字を音読みと訓読みに自在に変えて、音読みにはのちの万葉仮名にあたる使用方法を芽生えさせた。表記だけでなく、縄文時代から使ってきた言葉を漢字の声であらわすことができたことが画期的。漢字を日本語の声で読めるようになった。仮名の登場

・中国のオリジナルに倣い、学びながらも自在なリミックスを行うという日本に特有なグローバルスタンダードの受け入れ方は7~9世紀の遣唐使に顕著にあらわれる。建築、仏像、造船技術を持ち帰り、そこから離れてリミックスしてきた。デュアルスタンダード 和と漢が両立していた

・和漢をまたいだ例。紀貫之。和漢朗詠集 準えという方法

・漢字に自分たち固有の読み方を適用し、そこから日本オリジナルの文字をつくった。そうすると和様の書の誕生

・しつらい、もてなし、ふるまいというコンセプト

・戦国時代から安土桃山時代にかけて風向きがかわった。くにぶり。中国からの文物が最高位からの変化。

・「からごころ」と「いにしえごころ」。儒学における中国離れ→国学 日本儒学→中国離れを引き起こす。それがアヘン戦争、近代化の流れのなかで機能しなくなる。西洋をそのまま受け入れてしまった。今までの和漢をまたぐが機能しなくなった

日本の歴史的なグローバルスタンダードの受け入れ方

第1講で黒船のの最初の一撃として「稲・鉄・漢字」をあげている。その受け入れ方を「和漢の境をまたぐ」、デュアリティという観点でみると非常にわかりやすい。特に漢字をそのまま受け入れてもおかしくないのに、もともとあった日本語の発話性にかぶせ、そこから仮名を生み出した一連の流れが印象的。

今の時代の「和漢の境をまたぐ」は?

グローバルスタンダートしての中国と和の交流をしながら、独自のものを打ち立て、やがて「中国離れ」が起きてくる。その流れの中で起きたのが西洋近代との出会い。今までのグローバルスタンダードの受け入れ方が機能せず、西洋をダイレクトに受け入れてしまった。このような流れを本講では言っている。

では、その流れの延長線上にいる私たちに、この「和漢の境をまたぐ」というリミックスは果たして可能なのだろうか?私はそもそも近代化や敗戦を通して、「和」自体を引き継ぐ土壌がなくなってしまい、境をまたごうにもまたげないのではないかなと思う。

「和」が自分の中に育っていない、触れる機会がないから、境をまたごうにもまたげない。であるならば、「和」とは何か?を考えることが、今の時代の「和漢の境をまたぐ」ことにも繋がるのかな。そんなことを思いました。

日本の美意識

本講の中で「うつし」や「しつらい、もてなし、ふるまい」というのが出てくる。名前だけしか知らないが、ここをもっと追及していきたいなと思った。

以上。

次回は第三講「イノリとミノリ」について書いていきます。
最後まで読んでいただきありがとうございました!

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