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6/27(Sun) ネプリ「第三滑走路」


歌集編纂追い込みのため、明日から二日間有給を取っている。
今のうちに体を整えておかなくては、と思い整体へ。

かれこれ三年半くらいお世話になっている整体師・Wさん。中国は四川省出身の、ちゃきちゃきとした陽気な女性である。
整体の腕も素晴らしいのだが、彼女の一番の持ち味は四川料理さながらのスパイシーな施術トーク。
今日もリバウンド気味の体を面白おかしく罵られ/甚振られつづけ、笑いっぱなしの一時間だった。スッキリした。

(ちなみにWさんがお持ちの数ある鉄板ネタのなかで一番面白いのは「母国から豚足を持ち込もうとして空港の検疫で揉めた話」。色々とグレーな部分があるので、本人の許可が取れたらいつか書こうと思います)


*今日の一冊

青松輝さん、丸田洋渡さん、森慎太郎さんによるネットプリント「第三滑走路」を読んだ。

さんてんいちよん、いちごーきゅーにー、ろくごーさんごー、おねがい、耳に、舌でさわって
青松輝『hikarino/蜂と蝶』より

円周率、こうやって自分なりに区切って覚えていたなあ。そのうち、聴覚版ゲシュタルト崩壊というか、数字の羅列ですらない無意味な音の連続に聴こえてきたりして。「じゅげむ」もそうだった。
「おねがい、耳に、舌でさわって」への流れ込み方が滑らかで好き。
永遠に続いていく円周率と一緒で、相手に対する欲望も尽きることはない、というような意味に取った。

葉桜へ光の賽が投げ込まれわたしは運でベンチに座った
地下へ行くと地上に出たくなるのは何故 ガラスの急須から零れる湯

丸田洋渡『awkward』より

一首目。「光の賽が投げこまれ」がすごい。繁り具合や風によって、葉影が不安定に揺れているさまが手に取るように分かり、人間には操ることのできない自然の厳かさを感じる。「わたし」がベンチに座れたことも、数あるベンチの中でそのベンチが空いていたのも運。そしてそのベンチにかかる葉影は留まることなく模様を変えていく。大げさな言葉を使うことなく、一瞬を切り取ろうと試みている一首なのかなと思った。
二首目。急須にお湯をなみなみ入れると、注ぎ口付近まで水位が到り、少し傾けただけで零れてしまう。ガラスの急須だと、その様子が透けてみえてしまってさらに緊張が高まる。そのときに感じる緊迫感や窮屈さと「地下」が絶妙に響いているように感じた。
なんとなく、地下鉄・新御茶ノ水駅の長い長いエスカレーターを思い浮かべた。

学問の自由は、これを保証する。 夏を想って盗電をした
森慎太郎『アンチ・アンチ・ドラマティック』より

タイトル『アンチ・アンチ・ドラマティック』を的確に表現している一首だと思った。
大学の教室でスマートフォンを充電している一コマだろうか。
学生=青春!と繋がってしまいがちなところを、日本国憲法の堅い条文で絶妙にいなしている。「夏」を「想って」とドラマティックな言葉を重ねてから「盗電」で落とす感じも好きだった。

どの一連も読み応えがあった。
詩っぽい語彙や韻律に支配されていない作品に触れると、頭がほぐれる気がする。

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