現代短歌
先日、瀬戸夏子『はつなつみずうみ分光器』と穂村弘『あの人と短歌』という2冊を読みました。
それとともに日曜日の今朝、朝日歌壇を読んでいて、ようやく現代短歌がなかなか分からない、すとんと落ちてこないのかがわかりました。
『あの人と短歌』の中で穂村さんが「小説のように短歌にはジャンルがない」故に理解されにくい、というような趣旨のことを語られていたのですが、ほんと、そういうことなんだな。
従来の短歌はどちらかと言えば私小説的なもの、見たものを詠むものと思っていた。
実際、朝日歌壇に投稿される歌はすんなりと理解、解釈できる。
現代短歌は自分の感じたことを歌にすることにはかわりがないけれど、もっと感覚的であったり、感性に満ちあふれた表現で語られ、ファンタジーであったりSFであったり、ジャンルの違う短歌である、そんな風にとらえるとよいのかも知れない、と思った。
自身の若い頃の短歌体験を振り返ってみると、歌集と言われるものは、
『岸上大作全集』(純粋な歌集ではなくて、歌集と彼の残した手記などを収めたもの)
くらいしか読んでいなかった。
その後、俵万智『サラダ記念日』読んで、俵万智さんの歌集は何冊か読んだくらい。
息子の影響でいろんな歌人の歌に親しむようになったのは、ここ十年くらいのこと。
だから、まだ息子の歌も含め、現代短歌の感性に追いつけない、理解できないことがあってもしょうがないじゃん、っていうのが今回得られた知見。
まぁ、今さら何をって感じではありますが、これからは気楽に、多様なまなざしで短歌を読んでいきたいと思いました。
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