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湖の底の町

東北を旅したとき、「山塩ラーメン」というのを食べた。
山塩って何だ。山でとれる塩‥それは岩塩のことではないのか?

奥裏磐梯おくうらばんだいらぁめんや」の説明書きにはこう書いてあった。

温泉を煮詰めて作る「会津山塩」を使ったラーメン、角のないまろやかな味が特徴の山塩は、職人さんが手塩にかけて作り上げ、会津山塩ラーメンは一口スープを口にすると、塩の香りと優しさが広がります。

海水が地殻変動などで陸上に閉じ込められ、水分が蒸発して結晶化したものが「岩塩」。これに対して、山の温泉を煮詰めて煮詰めて作ったものが「山塩」ということのようだ。

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「奥裏磐梯らぁめんや」は、磐梯山の裏側(北側)にある大きな湖、檜原湖ひばらこのほとりにある。江戸時代に設置され、明治21年の磐梯山噴火の後再築された「検断屋敷」を移築復元した建物で、入り口を入って右がラーメン屋、左が桧原歴史館になっている。

週末の昼時ゆえか、バイカーや釣り人やラーメン好きが行列をなしている。とはいえ都会の店ではないので、空間的にも時間的にも余裕があり、待ち表に名前を書いたら各自その辺でてきとうに座り、檜原湖を眺めつつ、のんびり待っている。

待ち時間を利用して桧原歴史館へ入る。入館料は箱に100円投入する形式。ラーメン屋のねえさんが千円札をくずしてくれた。

歴史館は、ラーメン屋さんと同じ位の広さ。
塩を豊富に含む温泉がこの地に湧き出たいきさつが書いてあった。

弘仁年間(810~824)のこと、この地を訪れた弘法大師、空海くうかいが老婆の家に宿泊。山深い里で、塩がないため難儀している様子をあわれんだ大師は、護摩を焚き、一心に祈祷。すると17日目、ついに岩が割れ塩泉が湧き出した。村ではやがて塩作りが盛んになり、江戸時代には会津藩に納め、明治期に は皇室にも献上された記録が残っている。

と。

空海が岩を割って、塩分の多い温泉を湧き出させたのだった。
どこへ行ってもすごいなあ、空海。

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歴史館のなかをぐるっと一周。

山の動物たちの剥製(かわいすぎて本物かどうか謎)。
磐梯山の噴火で、桧原湖に水没した桧原宿跡のジオラマ。
湖底から出土した陶磁器類。
婚礼に使われた、縁起物。
暮らしの道具と着物。
写真と、膨大な資料。

桧原歴史館に入って初めて、私は「桧原湖が136年前の磐梯山の水蒸気爆発で出来た湖」であることを知った。それによって湖に沈んだ檜原宿という集落があったことも。

こんなに大きな湖が! そんな最近にできていたなんて!

それまでは、なんとなくこのへんの湖は平安時代ぐらいに出来たのかなあと、ふんわり思っていた。

なぜなら、何回目かの磐梯山の噴火の後、空海がきて磐梯山を鎮めた、と、たしか慧日寺えにちじの資料館にあった年表に書いてあり、その時も、すごいなあ空海。と思ったから。空海は平安時代の人だから、それぐらいには、檜原湖も五色沼もあったのだと、私は勝手に思い込んでいたのだ。

撮影不可だったので、写真は撮れなかったが、特に明治の噴火後に調査に入った役所の人の記録に、胸をつかまれる。

地図や地層や、数字も筆書き。そのタッチの荒々しさ、手書きでないと表せない記録の細かさ。今となっては筆文字と絵と数値が入り混じったアートのようだが、書いている本人は「記録」に徹しているところがしぶい。

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ラーメン屋さんに呼ばれたので、席につき、山塩チャーシュー麺を注文。
ぶあつくて柔らかいチャーシューが全面に乗っていた。

麺は太めのちぢれ麺。
スープはまろやかな山塩スープ。
空海の味がした。
岩を割ったり、筆を飛ばして対岸の岩に文字を書いたりできそうな気がした。

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明治21年の磐梯山の水蒸気噴火。
檜原湖だけでなく、うつくしい五色沼もこの時の噴火でできたという。

つまり噴火で崩れた山の土砂が、川を堰き止めてできた湖ということ。

明治21年という136年前のことを、「めっちゃ最近」と感じてしまうのは、私が一千年単位で事業計画を立てる神社に勤めているからなのかもしれないが、昭和の初めがもう100年前なのだから、昭和生まれの人間にとってはそんなに昔でもあるまい。

けれど、湖の底に沈んだ「桧原宿」という集落について、水中考古学のチームが近年、調査に入っている。136年前の家々も、湖の底に沈んでしまえば「遺跡」であり、考古学の対象なのだ。

水中考古学では、超音波による探索もおこなわれており、それに使われる最新の機械もパネル展示されていた。

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ラーメン屋さんから徒歩15分ほどの距離、桧原湖のほとりに、ひっそりと山の神をまつったおやしろがある。きちんとそうじがされており、現在も祭祀が行われているのがうかがえる。

このおやしろは、山の神と、桧原金銀山の神をお祀りしている。湖の底に沈んでしまった「桧原宿」のメインストリートと垂直に、このお社への参道が伸びていたが、その参道もまた、湖の底に沈んでいて、見えない。

今は、お社にいちばん近い鳥居が、湖のほとりに立っているが、水位が下がると、それより手前の鳥居の頭が水面から顔を出すそうだ。


一見すると、湖に向かって鳥居が立っているように見えるが、実は、参道のベクトルとしては湖からこちらへ、なのである。

お参りしたあと、正中を避けて、階段に腰かける。
近くで背の高い草を鎌で刈っている音がきこえる。
熊除けの鈴の音がきこえる。

あ、そっか。今年は熊の出没多いもんな。
youtubeで「熊鈴」と検索して、無限ループの熊鈴音源を見つけ、鳴らす。
癒しの鈴の音がループしているから、だんだん眠くなってきた。
にしても、こういう音源をアップしている人はえらい。
だけど、私の電源はいつも4%くらいしかないから、熊鈴は持ってきておかねばならんな。と反省。

くりかえす、湖面の小さな波の音(こちらはリアル)。
ますます眠くなってきた。
まぶたが閉じかかった半分の目で湖を眺める。
この下に広がっていた宿場を想像する。
昔の人たちの暮らしを想像する。

いま、水中遺跡になっているところに住んでいる魚や湖の生き物について想像する。魚たちが、湖の底の、昔の通りや石の柱を、目印にしていたり、待ち合わせに使っていたりしたらいいのにな。

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ラーメンを食べにきただけで、空海によって発見された山塩のスープを飲み、湖の底に沈む村を知り、その人たちが祀っていた山の神におまいりすることになった。

日本中、どこへ行っても、その土地独特の神様がいて、出会いには事欠かない。

旅そのものが神の采配ってことなのかもしれないが、東北ではとくにそんな気がする。西行法師や松尾芭蕉が、東北にあこがれて、旅に出た気持ちが分かる。

人生ある程度までいって、ここでいったんゼロにしたいというとき、人は東北にいざなわれるのではないだろうか。そこには自分の忘れてしまった、人間の暮らしの原点があるから。

どこを歩いても、冬への備えが感じられる。
屋根や信号機の形も、雪がつもった時のことが考えられている。
どこのお社、どの祠も、素朴で簡素で清らか。

雪国では、生きること、暮らすことそのものに、意識がフォーカスされ、労力が費やされている。そこに潔さを感じる。だから空海も岩を割って温泉を湧かせたのではないか。

実際に暮らしてみれば、北国の生活はそんな甘いもんじゃないのだろうが、旅人からしてみれば、とても美しく、心が洗われるような気がする。






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