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呪詛(@光る君へ)について
「光る君へ」がもうすぐ終わっちゃう!
今期の大河ドラマの話です。
さみしいですよねぇ。
でも、最終回に向けて、50になってもモテている紫式部を描いてくれて、めっちゃうれしい。
旅先で、昔ちょこっと恋愛っぽくなってた男の人と再会…いいですよね。
同じくこのドラマにハマっていた、幻冬舎の編集袖山さんに言われて初めて気づいたのですが、神社でやっていることと、平安貴族がやっていることって、ほとんど同じなんですよね。
着ている装束も、
陰陽道でものごとを決めたりすることも、
季節の行事をガチでするところも。
舞を舞って、音楽を鳴らし、お酒で祝うところも。
神職が神様の前で奏上する「祝詞(のりと)」で使われる言葉だって、大和言葉という平安時代の言葉で、それをさらに神様に向けての独特の言い回しにして作文しているのです。
これを、袖山さんは「神社はタイムカプセルで、神職さんは通訳のようだ」と言いました。
「光る君へ」は平安時代のお話だから、ふつうの大河ドラマと違って、武士も出てこないし、合戦シーンが少ないですよね。
そのかわり多めだったのが「加持祈祷」のシーンだと思います。とくに、安倍晴明役のユースケサンタマリアさんが、とてもリアルな陰陽師をされていて、絶妙だな! と思って見ていました。というかこのユースケさんがそのまま現代に来たら神社の神職です。
現代の神社でも、「祈祷」が毎日のように行われています。初宮詣、厄除、家内安全、七五三、合格祈願、病気平癒。神職は参拝者の祈願内容を通訳して、神様にお願いしているのです。
参拝者は、人生儀礼として、小さな願いを叶えるために、あるいは大事なことの前の「気合い入れ」や、興業の前の成功祈願、工事の目前の安全祈願のためなどに祈祷に訪れ、神社という空間で願掛けします。
そこに平安時代の人々ほどの熱心さはないにしても、その行為が1000年以上続いている、ということ自体が興味深いではないですか。
…ただ、「光る君へ」では呪詛(じゅそ)が多めでしたよね。
呪詛する側の役者さんたちの演技がとても上手いので印象に残ったのか、我が家でも子供たちが咳をすると「誰かに呪詛されている!」とか、「呪詛、呪詛」とか言ってウケておりました。
そんな時、思い出したことがあります。
私は京都の吉田神社という、陰陽道の色合いが濃い神社で、神職の「権正階(ごんせいかい)」という階位を取るための実地研修を受けていました。
18年も前の話なので、今は引退されているのですが、当時の禰宜さんが、吉田山の上の「八角堂」というところで、陰陽道の特殊な加持祈祷をされていたのです。
もちろん、私のような研修生はその場に立ち会うことはできませんでしたが、拝殿で行う通常の「祈祷」とは明らかに異なることをしておられることだけは、口頭で教えていただきました。
私はちょうど、自分の奉職している神社で「恨みごと」の祈祷を頼まれて、「それはできません‥」とお断りした後だったので、研修に行った際に、その話を禰宜さんにしてみました。
そうしたら、禰宜さんがこんなふうにおっしゃいました。
「僕らが、その祈願内容の良し悪しを決めるのではない。僕らがするのは、祈願をそのまま神様に伝えることだけ。その祈願を、神様が叶えるかどうか、それは神様次第なのだから」
あれから18年が経った今、「本当にそうだな」と腑に落ちることばかりです。
人生振り返ってみると、「なぜ私がこんな目に!」というとんでもない厄災が身に降りかかったりしたこともありましたが、時が経つと、「あの厄災があったからこその、この展開なのね」という納得・充実した状態がやってくるからです。物事の良し悪しは、時が経ってからでないとわからないんです。
最近では何かトラブルがあると、ああこれは神様の前フリなんだなと思い、あまり気になりません。
善と悪。それは時代でも変わるし、立場でも変わる。人間同士の関係性でも変わってくる。
「光る君へ」で呪詛が効くのは、呪詛する・される側の五感の感受性が現代人の何倍も鋭かったからこそ。けれど、呪詛が叶ったところで幸せになれるかというと、むしろ不幸になっていってるわけで‥。それは呪詛という行為が本人の心身にめちゃくちゃ負担をかけるからだと思います。
それとは対照的に、自分の幸せ、みんなの幸せを願う時、まだ叶っていなくてもその時点ですでに幸せな気持ちになれますし、心が和みます。とてもリラックスすると、呼吸が深くなって、まわりの小さな自然や、季節のちょっとした変化にも気づくようになる。自然の中の八百万の神様とお近づきになれる。自分の体のちょっとした変化にも気づくことができて、すぐにリカバーできる。
運気を上げる、というとスピリチュアルな話かと思われるのですが、意外と単純明快なことなのです。
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幻冬舎の編集袖山さんと、神社神職でライターの私が、ずっと前からあたためていた企画が本になりました。「光る君へ」の盛り上がりの中で出版されるタイミングもまた、神様の采配による偶然だと思っています。
イラストレーター、宮下和さんの清らかで美しく、有職故実をきちんと踏まえたたくさんの挿絵、「源氏物語」「枕草子」「古事記」など古典からの引用がふんだんに盛り込まれています!