さつまいもカタルシス
農家の総代さんにさつまいもをいただいた。神様にお供えしてから、ふかしたり、平べったく焼いたり、大学いもにしたりして楽しんでいる。
秋ー!! 大好きだー!!
と交差点の向こうにいる秋に叫んで告白したい。
こんどはさつまいもを味噌汁にしてみた。京都の海側にある伊根の人からいただいた煮干しで出汁をとり、具の相棒は小松菜。めちゃくちゃ美味しかった。
男女の双子を授乳中のころ、マザー・イン・ローが毎日さつまいもの味噌汁を作ってくれた。乳の出が良くなるからである。近所の人が、びわの葉茶がいいと言って持ってきてくれたりしたが、とにかくさつまいもが乳の出に一番良いということで、間食も干しいもを齧っていた。私は双子に母乳を1.5人前しか出せなかったので、一人に母乳を飲ませた後、マザー・イン・ローが足りない分のミルクを飲ませ、その間に二人目の子に私が母乳を飲ませていた。
マザー・イン・ローは謎の節で「たらずまい たらずまい」と歌いながらミルクをやっていた。足らず米のことである。なぜ乳を米と言うのか。主食だからだろうか。よくわからなかったが、彼女の出自は京都のやんごとなき家なので、乳母みたいな人がいて、そういう歌を歌っていたのかもしれない。他にも彼女は「おっこん」「ぱんぽ」「よいよい」「おっちん」「ちゃいちゃい」と、まるで御所ことばのような言葉で双子をあやしていた。
さつまいもの味噌汁と干しいものおかげか、私の小ぶりの美乳(自称)は容量以上の母乳を生産し始め、やがてぱんぱんに膨れて乳腺炎というものになった。血液から作られる母乳は電力に似て、作ったそばから赤ちゃんにあげないと貯めておく場所がない。疲れすぎて絞るのを忘れたりするとたちまち容量オーバーになって乳房がガッチガチに腫れ、これが地獄のように痛くて絞ることができなくなる。偏頭痛の最中に激しくヘドバンするようなものだ。
こうなると中の母乳も不味くなるらしく、双子がへんな顔をして一向に飲んでくれない。そして泣く。二人揃って大泣きする。その泣き声をキャッチした私の体は、よっしゃあと勘違いして二人分の母乳をアホみたいにじゃんじゃん生産し続ける。押し寄せる激痛。乳房はますます腫れて爆発寸前である。高熱も出た。意識が朦朧とする。深夜だったが、私は未熟児訪問でお世話になっていた70代の助産師の先生に、泣きながら電話をかけた。先生は起きていて、お産の立ち会い中だった。携帯電話の向こうの妊婦も叫んでいる。ものすごいうなり声をあげている。その合間から先生が「じゃがいもの湿布をせよ」と指示を出してくれた。「じゃがいもでも、里芋でもええから! 今はそっちに行かれへんけどなんとか持ちこたえてや! あとは赤ちゃんがなんとかしてくれる!」と先生も叫んでいた。私は痛みに絶叫しながらじゃがいもをすりおろして晒し木綿に挟み、それを乳房に当てた。実際、これが効いた。じゃがいも湿布には消炎作用と冷却作用があるのだ。私はなんとか正気を取り戻し、明け方に双子が乳房から頑張って飲んでくれて、非常事態を切り抜けた。むちゃくちゃな一夜が明けた。
朝、5時に起きてきたマザー・イン・ローが「えらい静かによう寝てたな」と言った。彼女は耳が遠いので、私の地獄の叫びも双子の夜泣きも全く聞こえていなかったのである。
それからしばらくはさつまいもの味噌汁を見るのも嫌になり、授乳終了後、自ら作ることはしなかった。こんな家庭的なメニューはお店で出てこないので、結果としてもう何年も食べていなかった。
それがふと今年になって無意識に作ったら、ばつぐんに美味しかったのである。
私はその滋味あふれるさつまいもの味噌汁を飲み干し、思った。
自分は地獄の一夜のトラウマから解放されたのだと。
そして今は感謝の気持ちでいっぱいなのである。
嬉しくて小躍りした。
時が経たないとわからないことは、たくさんある。
もっと年を取ったら、もっといろんなことが楽になって、もっと感謝の気持ちでいっぱいになるだろう。そしていつも機嫌のいい婆さんになれたら最高だな。