わたしの奈良国立博物館(&空海展)。
奈良に向かう近鉄電車の中で、私はスペイン人観光客八名に囲まれて座っていた。春になったとはいえまだ気温が十度代なのに、彼らはめっちゃ薄手のTシャツと短パンだ。短パンから出ているすねにはかっこいい刺青が彫ってある。
車窓を流れる青々とした田んぼと、突然ひらけたところに現れる平城京跡。ここは天平時代か。そんなことはおかまいなしに、スペイン人観光客は勢いのあるトークを繰り広げている。
広々として、おおからで、のんびりしていて、京都のように研ぎ澄ましたセンスで詰めて来ない奈良は、いろんな国の観光客を馴染ませている。そもそも、鹿が普通に町を歩いていて、うどん屋の前に並んでいたりするのだから、人種のちがいなんて、奈良では意味がない。だから私もリラックスして、奈良の懐の深さに甘えに行く感じがする。
今日は空海展にきたが、まずは仏像館に入る。いつもの仏像に挨拶してから特別展に行く流れ。「いつもの」とサラッと言ったがまだ三回め。一回ずつの集中力がすごいってことで許していただきたい。お気に入りは楠木正成が持ち歩いていたという、小さな仏像。鬼を踏みつけているのだけど、鬼の顔もめっちゃいい。それと、如意輪観音である。
仏像への挨拶を済ませ、仏像館から本館へ向かう地下通路を歩く。この通路は三回の来訪で、三回とも信用できる感じのカレーライスの匂いが漂っていた。通路の中ほどにはレストランがあって、修学旅行生が昼食を取ったりするから、常に大量のカレーが仕込まれているのだろうと思う。
国宝級の仏像がたくさんある仏像館をときめきながらぐるっと一周して、特別展示がされている本館へと向かう、その武者ぶるいするような気持ちをクールダウンする通路でもある。とはいえ、両壁には、仏像の作られ方の変遷や、手の形の意味など、お勉強展示が充実しているので、ついつい勉強してしまいクールダウンどころではなくなる。
本館の特別展、「空海 密教のルーツとマンダラ世界」はものすごい人気だった。他の展覧会よりも男性率が高い気がした。特に中年以降の男性が多かった。空海直筆の書のゾーンは、長蛇の列がまったく進まない。
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遣唐使船に滑り込むような形で乗り、中国に留学した空海は、三ヶ月で密教の全てを師匠の恵果(けいか)から受け継いで帰国、その世界観を広めて人々を救おうとした。
のちの世のことを考えれば、こつこつとみんなが仏教を学べる場を作った最澄の方が、世の中の役に立っているような気もしなくもないが、やはり空海の天才っぽさと、伝える力、伝え方のくふう、結果を早く出すところなんかが、人気のひみつなのではないかと思う。
いきなり国宝の五智如来像が、立体的な配置で展示されていて、うわー、となる。
中央の大日如来が、まさに宇宙の中心の感じを出している。
空海は「密教は奥深く文筆で表し尽くすことが難しい。そこで図や絵を使って、悟らない者に開き示すのだ」と述べたという。
密教の世界観を視覚で感じるための曼荼羅図(空海自身が制作に関わった)。
聴覚で感じるための法具いろいろ(空海が唐から持って帰ってきたものも!)。
嗅覚で感じるための、お香道具いろいろ。
空海は、五感にうったえるさまざまなグッズを用いて、悟らない者に密教の世界を伝えようとした。
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春休みに麻布台ヒルズのチームラボボーダレスに行ったとき、空海っぽいと思った。水墨画のような映像の部屋には墨の匂いがしたし、お花畑のような光あふれるところはアロマのいい匂いがした。スモークに映像を映し出してガムランのような音楽がかかっている部屋もあった。光と音と映像と匂い。
本当に悟りを開いたら、こうした五感への刺激は不要になるのだろうなあと思う。空海の用いたグッズも、そして言葉さえもいらなくなるのだろう。自分の中に宇宙ができて、そこで全てが満たされるから。自分と宇宙が一体化するから。まだ悟らない者だから、「うわー」とか言って楽しめているのかもしれない。
みんなが悟りを開いたとしたら、経済はまわらないし、国も成り立たないし、家族すら成り立たないだろう。人類全員が悟ったら、おそらく人類は滅亡すると思う。それでも空海は「みんな悟れる」というメッセージを発信し続けた。
私は神社神職という仕事をしているが、神様はあちこちに、風のように、めっちゃたくさん存在していて、みんな知らず知らずに神様と交流していると感じている。存在に気づくかどうかだけの話である。だから空海の「みんな悟れる」というメッセージに共感する。
奈良国立博物館を出て、ならまちをぶらぶらする。
あまりにも小さな古書店で、おじいさんが本を読みながら店番している。フランス語を独学中なのでフランス語の本を手に取って開けてみる。どうやらエロティシズムについて書かれてあるらしく、写真が実験的エロでおもしろい。でも内容はわからなかった。
空海は遣唐使船が中国大陸の辺鄙な場所に漂着してしまったとき、完璧な中国語の文書で自分たちのことを伝え、遣唐使一行は無事に目的地まで到着できたそうである。その時の文書も今回の特別展で展示されていた。ああ。空海の語学力にあやかりたい。