私には取り柄がない #61
私には取り柄がない。
私には「継続する」ということ以外、取り柄がない。
特別賢いわけでもなければ、ずば抜けて運動ができるわけでもない。
人が5できるところを、私は2ほどしかできない。
人よりも要領が悪く、時間も労力も2倍以上かける必要がある。
昔から、何でもさらっとやってのける人が羨ましかった。
嫌いな言葉は「センス」「才能」だった。
私にはこれといった取り柄がない。
でも25歳になって思う。取り柄と思えるものが見つかったかもしれない。と
「継続すること」
昔から何か目標に向かって「継続して」頑張ることが得意だった。
人が2やるところを8,9,10かけて頑張ることが好きだった。
俺はコツコツやるタイプなんだって、自分に言い聞かせるのが好きだった。
目の前に高い壁があるほうが好きだった。
「そんなん無理やろ」って言われる方が燃えるタイプだった。
継続することが、大きな成果につながることを経験してきたから。
25歳になった現在、社会人になってからというもの、決まって「あること」を言われるようになった。
それが、「何でそんな継続して頑張れるの?」 である。
でも私はいつも回答に困る。そして、うまく返事ができない。
なぜなら、別に「頑張っていない」からだ。嘘ではなく本当だ。
でも、周囲からはそういうふうに見えるらしい。
「頑張っていない」は本心だ。でも私はふと、そこで気づいた。
無心で、ひたすらと黙々続ける。何か自分のやりたいことに向かって。
淡々と、人の倍の時間をかけて取り組む。
これって、「取り柄」なのかもしれない。
そして、これまでを振り返っても、私が何とかうまくやれてきたのはこの「継続」の力が大きのかもしれないと。社会人になって感じる。
私にはこれといった取り柄がない。でも、唯一の取り柄かもしれない「継続力」を大事にしていきたい。
継続は力なり。
私はこの言葉を毎日自分に投げかける。
自分が自分の頑張りを一番近くで見ているから。
たとえ結果に裏切られたとしても。
自分を裏切ることにはならない。
25歳、まだまだ頑張るさ。
2024.11.12
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?