運動で「楽しい」を提供するには #60
昨日は、大学で同学年だった友人がスポーツインストラクターを勤めるジムへ行ってきた。初めて「ボディコンバット」というレッスンを受けてきた。とてもハードで今は身体全身が悲鳴をあげている。体育教師失格だ。
いつもは授業を行う側である自分がレッスンという形を受けるのは新鮮だった。昨日はまさに「生徒」側の気持ちだった。純粋に目の前のレッスンを楽しんだのだが、結果的にいろんな気づきをもらえた45分間だった。友人は最高のスポーツイントラクターだった。プロだった。そんな友人のレッスンを受けることができて良かった。素敵な45分間での自分の中の気付きをnoteに残したい。
そもそも「楽しい」を考える前に、受ける側にはいろんな背景がある。運動が苦手な人や得意な人、ハードな運動を求めている人、単純に体を動かしたい人、趣味で通う人など様々だ。これはレッスンだけではなくて学校体育で当てはめても同じだ。授業を受ける生徒の実態も様々だからだ。
次に「楽しい」を感じる場面はどこか?しかし、これも人それぞれである。何かができたとき、たくさん体を動かせたとき、褒めてもらえた時、周りの人間と繋がりをもてたとき、など他にもたくさんあるだろう。
この中でも昨日のレッスンを通して、僕が改めて大切だと感じたことが次の2つだ。
1. 純粋の相手の良いところを褒める
友人はレッスンを受ける方々に対して、1つでも良いところがあったらたくさん褒めていた。「あ〜いいですね!!」「そうそう!ナイスです!」こんな声が45分間ずっと飛び交っていた。当人の僕もまた、たくさん褒めてもらった。久しぶりに褒めてもらえた気がする。すごく嬉しかった。すごくだ。嬉しそうだったのは僕だけじゃない。みんながニコニコしていた。やっぱり人は褒められたら嬉しいんだ。改めて再確認した。
できるできないじゃなくて、細かな変化に気づいて褒めてあげる。分け隔てなく。少し忘れていたところだったかもしれない。勉強になった。
2. 相手のレベルに合った複数の選択肢を与える
レッスンは年齢層も男女の数もバラバラだ。昨日は20代〜60代くらいだっただろう。当たり前だが体力や筋力、スポーツ経験にも差がある。インストラクターの仕事としては当たり前のことかもしれないが、その人に合ったレベルの課題を複数提供する。みんなでやる楽しさももちろんあるが、合間合間に選択肢を与える。負荷の強い運動を選んでもいいし、軽い方を選んでもいい。「自分で運動レベルを選択する」「自分でアプローチ方法を選択する」、これがものすごくやりやすかった。これも改めて大切だと感じた。
特に今は「個別最適な学び」という観点が重要視されている。授業でも、それぞれが課題に向かって自分で場を選択する、環境を選択するということも大切になってきている。今回のレッスンはそういう意味で何かヒントをもらえた気がする。
そして何より一番素敵だったのが、前に立つ人の「パッション(情熱)」である。
友人自身が本当にレッスンを心から楽しんでいた。そのパッションがすごく伝わってきた。前に立つ人の想い、振る舞い、一つ一つの所作や言動、姿が大切なんだと。少なくともレッスンを受ける側だった僕は、心も体も彼に動かされた。純粋にその45分間を心から楽しむことができた。時間はあっという間だった。
昨日のレッスンは僕に取ってすごく価値のあるもので、楽しい時間で、素敵な学びをもらえた時間だった。大学の友人がいろんな形で活躍しているのを見てすごく嬉しい気持ちになったと同時に、自分も頑張らないととエネルギーをもらえた。それぞれ目標や進む道は違うけれど、負けないように頑張らないとね。卒業してもこうして大切な友人と関われる自分は幸せ者だ。
ps. レッスン後のラーメンはここ最近で一番美味しかった。
2024.10.27 スターバックス
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